(その2)あなたにとって「尾生の信(びせいのしん)」とは?
【昔、中国に尾生という、人と約束したらどんなことがあっても絶対に守る、という正直者がいました。あるとき尾生は恋人と橋の下で逢う約束を交わしましたが、いつまで待っても恋人はやってきません。そのうちに、満ち潮になり川はどんどん増水してきます。膝までつかり、胸までつかり、首まで水につかっても尾生は待ち続けました。でも、恋人は来ません。…あくる日、町の人が川を見ると、尾生は橋脚の柱に抱きついておぼれ死んでいました(史記より、意訳)】
この話には二つの解釈ができると思います。命をかけてまで約束を守ろうとする美しい心がけに感心するか、いくらなんでも上にバカがつくような正直は行き過ぎだと感じるか、です。辞書で調べても「尾生の信」とは、「固く約束を守ること」「愚直なこと」の二つの意味が書かれています。
しかし、ほととんぼさん的には、なにかポイントが違うような気がします。これは、どう考えても片思いの尾生がフラれた話です。ストーリーをそのまま素直に受け取って、尾生の信とは「好きな人を思い詰めてまわりの事が目に入らなくなること(恋は盲目)」と解釈したいです。
ちなみに尾生は論語にも微生という名前で出てきて、孔子は彼のことを全然正直者ではないと言っています。
実は、ある人が酢をもらいに行ったら、彼は隣の家から借りてきて、いかにも自分のもののようにして与えた、というのですね(論語・公冶長第五より)
これを真に受けたら、尾生は偽善者ってことになります。
二千年以上も前の話です。真偽のほどはいかがなものでしょうか?
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