(その29)多岐亡羊ということ
多岐亡羊(たきぼうよう)とは「多くの枝道があって、羊を見失ってしまうこと」で、中国の故事熟語です。
【ある日、楊さんの隣人の羊が一匹逃げだしました。隣人はできるだけ多人数で捜そうと、楊さんや近所の人にも応援を求めてきました。楊さんが 『たった一匹の羊を捜すのに、どうしてこんなに大勢で追いかけるのですか』と尋ねると、『逃げた方角にはわかれ道が多いから』という答えでした。捜しに行った人々はやがて疲れて戻ってきて、『わかれ道にはまたわかれ道があって、とうとう羊がどこに行ったかわからなくなった』と報告しました。それを聞いて楊さんはすっかり考えこんでしまって、口もきかなくなりました。たかが一匹の羊、それも他人の羊のことでどうしてそんなに考えこんでしまうのですか、とまわりの人が聞くと、楊さんはこう言いました。 『一匹の羊を探すのに、わかれ道、わかれ道と迷い込んで、結局見失ってしまったのです。人生もそのようなもので、あれもこれもと手を出して、一番大事な道を見失うような追及の仕方は無意味であることを悟ったのです』 と】(列子より、意訳)
どんなことでも、やりはじめると次から次へと問題点が出てきて、なかなかうまく運びません。だからこそ、ポイントを絞って行動せよということでしょうか。
「多岐亡羊」、覚えておきたい故事熟語です。
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