(その84)「雨乞い」の反対の言い方は?
今日、京都市内は雨でした。鎌倉右大臣源実朝の
【時によりすぐれば民のなげきなり八大龍王雨やめたまへ】
(大意→時により、雨も度が過ぎると民衆が嘆きます。八大龍王よ。このへんで雨を降らせるのをやめてください)
という歌が頭に浮かびました。何気なしに口ずさむと、ある人に
『こういう歌は雨乞いに対して何と言うのか?』と質問されました。
そこで、雨乞いの反対の言葉を探してみたところ…
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全くの反対語ではないかもしれませんが、正岡子規が『八たび歌よみに与ふる書』で、上の実朝の歌の紹介の際、祈晴(きせい)という言葉を使っていました。『な~んだ。晴れを祈るとはそのままじゃないか!』と思われるでしょう。確かにそうです。ただ、祈雨・祈晴(きう・きせい)という言い方はあるみたいです。そして八大龍王というのは雨を降らす神様で、鳥取県の大山と関係があるとのことです。
また、雨乞いの句として有名なものに、芭蕉の弟子の其角の
【夕立や田を見めぐりの神ならば】
(大意→名前が“みめぐり”というくらいの神様です。田んぼを“見めぐり”になれば百姓たちが困っているのがわかるでしょう。どうか夕立を降らせてください)
があります。この句は、其角が江戸の向島にある三囲稲荷で農民たちの雨乞い神事によばれた時に詠んだもので、『三囲(みめぐり)』と『見めぐり』をシャレています。そして、なんと! 雨乞い神事の翌日、実際に雨が降ったと伝えられています。
ホンマかいな?(笑)
(ほととんぼは国語に精通しているわけではありません。この記事は参考程度に読んでください)
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