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2011年12月10日 (土曜日)

「なくてぞ。」

源氏物語「桐壷」の巻、宮中の女官たちが亡き桐壷の更衣を偲ぶ場面の描写に

「なくてぞ。」とは、かかる折にやと見えたり

とあります。この「なくてぞ。」とはいったい何のことか? 意味深で、頭の中をぐるぐると回り出し、なんと心ひかれる表現だろうと思ったので、調べてみました。

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古歌に

【ある時はありのすさびに憎かりきなくてぞ人の恋しかりける】

生きているときには身近にいるということに慣れてしまって、憎く思うこともあったが、なくなってしまうと人は恋しくなるものだなぁ

というのがあって、作者(紫式部)はそれを引用しているようです。

なるほど! ここでほととんぼさんが感心したこと三つ。

1、まず、「なくてぞ。」という一言で、亡くなった桐壷の更衣への女官たちの思いを伝える、作者の文章力。

2、そして、「なくてぞ。」という一言で、上の古歌を思い浮かべることができた、当時の源氏物語読者の教養の深さ。

3、さらに、「ありのすさび」という言い回しの、現代語に訳すとどうしてもニュアンスが違ってしまう、なんともいえない含蓄ある表現。

「ありのすさび」は漢字交じりで書くと「在りの遊び」または「在りの荒び」です。ただ、「遊び」と「荒び」では、全然受け取り方が違います。「遊び」ならば気軽で明るいイメージ、「荒び」ならば深刻で暗いイメージです。おそらくここでは、両方のイメージを表現しようとしているのでしょう。人の評価は毀誉褒貶。よく言われたり、悪く言われたりです。その言動が、憎らしい・腹立たしい人でも、いなくなってしまえばどこか寂しく、懐かしく感じるものです。人情の機微というか、人生の教訓というか、言い得て妙です。

なくてぞ。

うまいこと言いますねぇ。続けて「かかる折にやと見えたり」と言い切るところが、またいいですねぇ。源氏物語が千年以上も読み継がれてきたのは、やっぱり上手に書けているからですね。

【105】

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