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2011年12月27日 (火曜日)

>村田新八のこと

ある人に聞かれました。

 

>題名の人物、おじさんの好きな幕末の人?

 

>手風琴(アコーディオン)もっているのが有名?

 

と。

 

返信かたがた、この場でちょっと語ってみます。

 

ーーーーーーーーーー

『えっ? 村田新八? はいはい、薩摩の人ですね。どういう説明をすればいいのかイマイチわかりませんけど、おじさんが村田新八を知ったのは二十年ほど昔のNHK大河ドラマ“翔ぶが如く”でした。これは言ったかなぁ。おじさんは西郷隆盛のファンです。西郷さんという人は超偉人で、明治維新はこの人によって成し遂げられたと言ってもいいくらいです。 ○○さん(質問者)には経験ないですか? “この人のためなら死んでもいい”と思わせる魅力的な人物っていますよね。まさに西郷さんはそんな人徳の持ち主でした。ご質問の村田新八は、西郷さんをめっちゃ慕っていたんですね。いつもそばにいて、西郷さんの指示であちらこちらに奔走しました。二人三脚って感じです。明治維新後、征韓論に敗れて西郷が下野したときも、あとを追って鹿児島へ帰り、鹿児島私学校の設立にかかわっています。その後西南戦争が起き、官軍に負けて鹿児島の城山というところで西郷が自刃したことを見届けたのち、最後の突撃に出て42歳で戦死しました。村田新八は岩倉具視の使節団の一員として欧米の視察にも行きました。だから洋風の格好をして、○○さんも書いているようにアコーディオンを弾くのが好きだったようです。実は大久保利通らと同じような考えを持っていて “これからは欧米に学んで国力をつけていかなければならない”と思っていたようですが、それも西郷さんの魅力にはかなわなかったということなんでしょうね。西郷さんの言葉にこんなのがあります。“命も名誉もいらず、地位も金もいらない、そんな人物は始末に困る。でもそういう人物がいなければ国家のむつかしい事業は成し遂げられない” 村田新八はそういう人物の一人だったのです』

 

『おじさんは彼らの跡を追って鹿児島に行きました。西南戦争激戦地の田原坂にも行きました。鹿児島には西郷隆盛や村田新八たちが立てこもっていたという洞窟が残っています。このあたりで死んだという碑もあったと思います。○○さんも興味があれば、ぜひご自分の目で歴史の現場を確認してみてください。きっと感動すると思います』

 

というわけで、今回は質問をありがとうございました。おじさんも勉強になりました。

 

【122】

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