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2011年12月13日 (火曜日)

人斬り以蔵(岡田以蔵)のこと

ある人に、幕末の人斬り以蔵について聞かれました。簡単に紹介してみます。

 

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岡田以蔵(1838~1865)は土佐の郷士でした。

 

土佐の武士階級には上士と郷士という区別があって、郷士というのは下級の武士です。以蔵は十代の後半に同じ土佐藩郷士の武市半平太の子分になって、江戸に出たり京都に行ったりしました。武市半平太は郷士といっても上士に準ずる扱いを受けていて、尊王攘夷を目的とした土佐勤王党を結成しました。以蔵は粗野で乱暴者だったので、武市によって人斬り(暗殺者)にされたといわれています。

 

文久2年(1862)ころ、京都の町では『天誅!』と言いながら、尊王攘夷に反対する人々や幕府の役人を殺害する事件が多発しました。以蔵はその多くにかかわったとされています。幕末にはたくさんの暗殺があって、なかでも4大人斬りが有名です。肥後藩の河上彦斎(「げんさい」と読みます)、薩摩藩の中村半次郎(のちに桐野利秋と名前を変えました)、薩摩藩の田中新兵衛、そして土佐藩の岡田以蔵です。

 

以蔵は元治元年(1864)に、一連の暗殺に関して捕えられ、土佐に送られます。そして厳しい拷問を受けて白状し、28歳で斬首されました。同じく武市半平太も切腹になっています。以蔵が斬首で武市が切腹なのは、以蔵の身分が低いからです。また、以蔵が捕えられて拷問を受けているとき、すべて発覚することを恐れた武市半平太が獄中の以蔵に毒を送ったという話も有名です。そんな武市のやり方に憤慨した以蔵が白状するきっかけになったともいわれています。

(ほととんぼは歴史好きですが、専門家というわけではありませんので、参考程度に読んでください)

 

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