ごく簡単な「葛の葉」伝説。
昔むかし、村上天皇のころといいますから、今から千年ほど昔のお話です。
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摂津の国に安倍保名(あべのやすな)という人が住んでいました。あるとき和泉の国の信太(しのだ)大明神にお詣りにして禊ぎ(みそぎ)をしていると、狩人に追われたキツネが逃げてきました。保名はキツネをかばって逃がしてやりましたが、追ってきた狩人たちは『このやろー、せっかくここまで追い詰めたキツネを逃がしやがってー』と言って、保名をさんざんな目に合わせました。
…保名が深い傷を負って苦しんでいると、突然若い女がやって来ました。
『まぁ、こんなにひどい傷を負って、いったいどうなさったのです』
『いや何でもないんだ。でも、ありがとう。お前の名前は何というのだい?』
『葛の葉(くずのは)と申します…』
この出会いから葛の葉と保名は一緒に暮らすようになり、保名の傷も日に日によくなっていきます。二人には童子丸(どうじまる)という男の子が生まれました。
…童子丸が六歳になったのある秋の日のことです。葛の葉と童子丸は庭に咲いた菊の花を眺めていました。
『本当にきれいな菊だこと。ねぇ童子丸』
このとき童子丸は、母親である葛の葉の異常な姿に気がつきます。
『お母さま、お尻から“しっぽ”が出てるよ!?』
『まぁ、どうしましょう!』
菊の花があまりにも美しかったために、葛の葉は自分がキツネであることを忘れ、つい本性をあらわにしてしまったのです。キツネであることがバレてしまったからには、もはや一緒に暮らすことはできません。葛の葉は
【恋しくばたずね来てみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉】
の一首を残して、信太の森へと去っていきました。
残された保名と童子丸は、妻(母)を求めて信太の森を探し歩きます。森の奥深くまで入り、保名がふと振り向くと一匹の白いキツネがじっと二人を見つめていました。ハッ!とした保名が「その姿では子供が怖がる。もう一度もとの葛の葉になっておくれ」というと、キツネはかたわらの池に姿を映し、たちまち葛の葉の姿になりました。
『わたしは信太の森に住む白狐です。狩人に追われて危うい命を助けていただいたあなたの優しさにひかれ今までお仕えしてきましたが、素性を知られたからには、もはや人間の世界に住むことはできません』
言い残すと葛の葉はとりすがる童子丸を諭し、目に涙をいっぱい浮かべてふたたびキツネとなり、森の奥へと消えていったのでした。
…この保名と葛の葉の間に生まれた童子丸が、陰陽道の始祖とも言われる天文博士安倍晴明だということです。
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これは、葛の葉伝説といわれているお話です。ちなみに信太の森はどこにあるかといいますと、大阪府和泉市にJR阪和線の『信太山駅』があり、この付近の森だといわれています。
大阪ではきつねうどんを“しのだ”と呼ぶことがあります。それと全くの余談ですが、現在大阪で『信太山』と言えば、何を隠そう、世の男性たちが遊ぶところでもあるのです。安倍晴明や陰陽師に対するどこか神秘的なイメージは、母親がキツネだったということが象徴していますし、現在の信太山が歓楽街でもあるという事実には葛の葉伝説が背景にあるのですね。
どこまでがホントで、どこからが作り話なのかわからない。『史実』と『伝説』のかねあい。そういうところにひかれるほととんぼさんでした(笑)
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