心ここにあらざれば…(大学第三章より)
四書の大学にある有名な言葉です。
心不在焉、視而不見、聴而不聞、食而不知其味、此謂脩身在正其心
『心ここにあらざれば視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず、此れを“身を脩(おさ)むるはその心を正すに在り”と謂う』
ーーーーー
(意訳)心が他のことに奪われていては、注意深く見ているようでも何も見えていない。注意深く聞いているようでも理解できていない。食べていても味がわからない。“わが身を修めるにはまず自身の心を正さなければいけない”というのはこういうことである。
この言葉の前に「腹の立つことがあれば正しいことができない。恐懼することがあれば正しいことができない。楽しいばかりでは正しいことができない。憂いがあれば正しいことができない」とあります。
何事もうわの空ではいけない。動揺してはいけない。冷静に、落ち着いて、集中力が必要ということです。
※視は「注意深く見る」、聴は「注意深く聞く」、恐懼(きょうく)は「おそれおののく」
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