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2012年2月21日 (火曜日)

海くれて鴨のこゑほのかに白し(芭蕉)

【海くれて鴨のこゑほのかに白し】

今回は、甲子吟行(野ざらし紀行)にある芭蕉の句を通じて、当ブログの詩歌鑑賞法について述べてみます。

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この句がすばらしいのは、声を出して読み上げたときに、日本語の言葉の響きが美しいところです。私は、いつも次のように声に出して読みます。

うみくれて かものこえほの~ かにしろし

作者の主張は「ほの~ か」にあります。「仄か」でもなく、「ほのか」でも「ホノカ」でもなく、これ以上的確な『ほのかさ』の言い回しがあるでしょうか。それを十七文字の中で自然と表現しているところに芭蕉の偉大さがあります。作品の意図、思いがすべてこめられています。芭蕉の音感、技量に脱帽です。蕪村に

【更衣野路の人はつかに白し】(ころもがえ のじのひと はつかにしろし)

※はつかに=わずかに

という類句がありますが、いかがでしょう? 声に出して比べてみれば、「海くれて」の句が、いかに音感にすぐれているかがわかると思います。(とはいえ、蕪村の句がくだらないというわけではありません)

詩歌鑑賞においては、ことさら理詰めに考える必要はありません。百人いれば百通りの解釈があります。読者の感性・経験・気分によって千差万別です。そこに正解などありません。“何のために鑑賞するか”も重要です。国語の勉強? 文学の研究? 人生の道しるべ? 作句技量の向上? それぞれの立場によって、やはり解釈の仕方は違ってきます。

詩歌は各人各様に楽しむべきものです。書かれた字と声に出して読んだ印象、つまり視覚と聴覚によって、作者の心を想像し味わうべきものです。詩歌は音楽の一種です。だから解説本や解説サイトなんてあてになりません。また解説を必要とするような難解作品は、基本的にいい作品とはいえません。そのためにも、芭蕉が言うように

舌頭に千転せよ(何度も何度も…、千回でも口づさんでみなさい)

というのが、私の鑑賞法です。これは俳句に限らず、短歌でも漢詩でも同じです。おのずと作者と一体感が得られます。少なくとも一体感が得られたような気持になります。それこそが、詩歌鑑賞の醍醐味です。

ただし、

①使われている用語・用例がわからなくては話になりませんから、辞書・辞典のたぐいは必要です。

②ほかの人がどのように鑑賞しているか、自分のと比べることは重要です。鑑賞の幅が広がります。

(当ブログのこのカテゴリはあくまでも「勝手に鑑賞」です。参考程度に読んでください)

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