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2012年2月15日 (水曜日)

雪月花つゐに三世の契りかな(蕪村)

蕪村には物語性のある句が多くあります。

 

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雪月花つゐに三世の契りかなせつげつか ついにさんぜの ちぎりかな)」

蕪村筆の牛若弁慶自画賛です。

義経記巻八衣河合戦の事」で、義経と弁慶が今生の別れに辞世の歌を詠む場面があります。

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【衣河に追い詰められた義経軍は、奮戦空しく、ひとりまたひとりと討ち死にしていき、最後に残った弁慶も、もはやこれまでと義経に別れを告げに戻る。そのとき義経も自害を決意して、館に籠って法華経をよんでいた。もともと“死なば一緒”と誓っていた二人、弁慶は「今生の暇乞いを申し上げます」と言って歌を詠む。

 

六道の道のちまたに待てよ君遅れ先立つ習ひありとも

(義経様、どうか冥途への旅の途中で待っていてください。たとえ死ぬときに後先があっても!)

 

義経は『こんな死出のときまでも未来のことを考えてくれているのか!』と感激して返歌する。

 

後の世もまた後の世もめぐりあへ染む紫の雲の上まで

(弁慶よ、後世もそのまた後世もめぐり逢おう。あの紫色に染まった浄土の雲の上まで一緒に行こうではないか!)

 

主従は声をあげてともに泣いた。

 

そして再び戦場に戻った弁慶は立ったまま往生し、義経も自害して館に火を放つ】

 

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蕪村の句はこの物語を踏まえています。「親子は一世の契り、夫婦は二世の契り、そして主従は三世の契り」ということわざがあります。親子はこの世だけの縁で、夫婦はこの世とあの世(来世)の縁、主従にいたってはそれよりも縁が深く、前世、今世、来世と三世の縁があるというのです。義経と弁慶は、後の世もまた後の世も…三世の契りです。

 

蕪村はこれに雪月花とつけました。絵を見れば、うつむきつつもどこか気品のある牛若丸に、しっかりと前を見据えた大柄な弁慶が従っています。アンバランスな画題になっているところが俳諧です。厳格な主従関係が、雪月花と置くことによって江戸の滑稽趣味に一変しました。あるいは、自らが身を置く俳諧の世界の師弟関係をも諧謔的にとらえているのかもしれません。また「つゐに」が効いています。調子を整えて語呂をよくするとともに、時間の経過を思わせ、余情を広げています。

 

現代のフォト俳句にも通じる蕪村の画賛です。

 

【172】

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