「歌」は「訴え」からきている?
和歌の「行方も知らぬ」という表現が好きです。現代語で書けば『どこへ行くかわからない』ですが、一言では言い表せない作者の万感の思いが込められています。それも、自分の内面に閉じこもった小さな願望ではなく、『聞いてほしい! わかってほしい!』 という強い訴えが込められた名歌が多いように思います。以下、いくつか挙げてみます。
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(柿本朝臣人麿の近江国より上り来し時に、宇治河の辺に至りて作れる歌一首)
【もののふの八十氏河の網代木にいさよふ波の行く方知らずも】(柿本人麻呂、万葉集264)
意訳:(柿本人麻呂が近江の国から都に上ってくるとき、宇治川のあたりまで来て作った歌一首)「宇治川の網代木のために漂っている波のように、(どうなるのだろう!)行方のわからないことだ」
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【由良のとをわたる舟人かぢをたえ行方も知らぬ恋のみちかな】(曾禰好忠、新古今集1071)
意訳:「由良の海峡を渡っていく舟人の梶が折れてしまって漂うように、行方の知れない恋をすることだ(あのひととどうなるのだろう!)」
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(あづまの方へ修業し侍りけるに、富士の山を見て)
【風になびく富士の煙の空にきえて行方も知らぬ我が思ひかな】(西行、新古今集1613)
意訳:(東国へ修行の旅に出たときに富士山を見て)「富士の煙が風になびいて空に消えていくように、行方も知らぬ私の思いであることだ(我が人生、どうしよう!どうなるのだろう!)」
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行方も知らぬという表現は自分の気持ちを強く出すのに最適な比喩表現だと思います。いわゆる絶唱です。現代語訳すると陳腐になってしまうので、ぜひ暗誦したいです。山本健吉が何かの本で書いていましたが、「歌(うた)」という日本語は「訴え(うったえ)」からきているのだそうです。真偽のほどはともかくとして、少なくとも詩歌はただ字面を追うのではなく、声に出して鑑賞するものだと思います。作者の心に迫れます。
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