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2012年4月13日 (金曜日)

看花還看花(桜を詠んだ詩歌6)

桜(花)を詠み込んだ詩歌、今回は漢詩を鑑賞してみます。

 

古今集以来、日本では花といえば桜をさしますが、中国で花といえば牡丹なのだそうです。なので、厳密には桜を詠んではいないのですが、この際、花は桜と考えて、今の季節にぴったりの漢詩を二首挙げてみます。

 

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尋胡隠君(こいんくんをたずぬ)(高啓)

渡水復渡水
(みずをわたり またみずをわたり)

看花還看花(はなをみ またはなをみる)

春風江上路(しゅんぷう こうじょうのみち)

不覚到君家(おぼえず きみがいえにいたる)

 

意訳:水を渡り、また水を渡り、花を見て、また花を見る。春風に吹かれて川沿いの路を歩いていたら、いつのまにか君の家に着いた。

 

高啓(こうけい、1336-1374)という人は明代初期の詩人で、頭脳明晰だったそうです。骨のある人物で、皇帝を批判したためにわずか39歳で処刑されてしまいました。残された詩で有名なのはこの「尋胡隠君」くらいですが、まさか処刑されるような人物が詠んだとは思えない、のどかで調子のいい詩にできあがっています。蕪村の春風馬堤曲春風や堤長うして家遠し」は、この詩を元にして作ったと思われます。結句の『覚えず 君が家に至る』は、読み下したとき、深い余韻と感動に包まれます。

2302(鴨川沿いにて)


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 登科後(とうかご)』(孟郊)

昔日齷齪不足誇
(せきじつのあくせく ほこるにたらず)

今朝放蕩思無涯(こんちょうのほうとう おもいはてなし)

春風得意馬蹄疾(しゅんぷういをえて ばていはやく)

一日看尽長安花(いちにちみつくす ちょうあんのはな)

 

意訳:昨日まであくせくと勉強していたことは自慢にもならないが、(合格した)今朝のさわやかな気分には限りがない。春風の中、思いのままに馬を走らせて、今日一日、長安の花を見尽くしてしまおう。

→この詩は中唐の詩人孟郊(もうこう、751-814)が五十歳で科挙に合格したときに作ったものだそうです。五十歳といえば、中年も後半、もはや老境といっていい年齢です。そんな歳になるまで科挙を受験していたことも驚きですが、まるで子供のように喜んでいるのにはいささかあきれてしまいます。なんでも科挙に合格した者は、長安中どこの庭の花(ここでは牡丹)も自由に見て回れたそうで、鑑賞するこちらまでうれしくなります。にもかかわらず官僚として不遇だったのは、受験勉強に人生のすべてを費やしたからでしょうか。現代の大学入試にも一脈通じるところがありますね。漢詩としては、母親への愛情を詠んだ「遊子吟」も有名です。両方の詩をながめてみて、このおじさん、もしかして若干ロリコンだったのかな? と感じるのは不謹慎でしょうか(笑)

2303(平野神社にて)

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というわけで花の種類は違っても、満開ともなればハイテンションになるのは、国を問わず同じようです。ただいま京都の桜満開!です。

2301


【230】 

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