春夜宴桃李園序(李白)&奥の細道(芭蕉)
「奥の細道」の解説書を読むと、どんな本でも、冒頭部分は李白の詩「春夜宴桃李園序」から引用しているとあります。両方を比べてみます。
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【春夜宴桃李園序】(李白)
夫天地者萬物之逆旅、(それてんちはばんぶつのげきりょにして)
光陰者百代之過客。(こういんはひゃくだいのかかくなり)
而浮生若夢、(しこうしてふせいはゆめのごとし)
爲歡幾何。(かんをなすこといくばくぞ)
…
意訳:この世のすべてのものは宿屋であり、月日は旅人である。そして人生は夢のようなものだ。楽しいことをするといってもどれほどのものがあるだろうか。
→要するに、李白の言いたいことは?…
『だからこそこの世を楽しまなければならない!』
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【奥の細道】(芭蕉)
月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。(つきひははくたいのかかくにして、ゆきこうとしもまたたびびとなり)
舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。(ふねのうえにしょうがいをうかべ、うまのくちとらえておいをむかうるものは、ひびたびにしてたびをすみかとす)…
意訳:月日というものは永遠の旅行者であり、過ぎゆく年もまた旅人である。舟の上に生涯を浮かべて過ごす船頭や、馬のくつわを引いて年とってゆく馬子は、毎日が旅であり、旅を住処としている。
→要するに、芭蕉の言いたいことは?…
『だから漂泊の思いやまず旅に出るのだ!』
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李白の詩には、空しい心の中だからこそ、現世を明るく前向きに生きようという意識が見えますが、芭蕉の文章には、無常感だけがただよっていて、ただうつろに生きているような気がします。文学的にどちらがすぐれているのかはわかりませんけど、個人的には李白のほうが好きだなぁ。『歓を為すこといくばくぞ』にひかれます。ちなみに「百代」は李白の詩では『ひゃくだい』、奥の細道では『はくたい』と読むことになっているそうです。読みぐせとのことですが、これは『はくたい』のほうがおしゃれです。
(大津市、石山駅前の芭蕉像)
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