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2012年4月 4日 (水曜日)

「清明」(杜牧)と「題自画」(漱石)

二十四節気の「清明」を詠み込んだ杜牧の有名な詩を鑑賞してみます。

 

清明時節雨紛紛(せいめいのじせつ あめふんぷん)

路上行人欲断魂(ろじょうのこうじん こんをたたんとほっす)

借問酒家何処有(しゃもんす しゅかはいずれのところにかある)

牧童遙指杏花村(ぼくどうはるかにゆびさす きょうかそん)

 

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意訳:【この清明の季節、こぬか雨がしきりと降って、旅ゆく私の心はくじけてしまう。『ちょっと聞くが、酒屋はどこだろうか』 尋ねられた子供はずう~っと向こうのアンズの花咲く村を指さした】

 

意訳すると詩のよさがわからなくなります。なんでもない、つまらない文章です。でも、詩を声に出して読めば「雨紛紛」→「路上行人」→「断魂」→「借問」→「牧童」→「遙指」→「杏花村」と、登場人物の動き・風景が目に見えるように感じるから不思議です。詩の力というか、読む者の心に訴えかけるのは文字ではなく言葉(声)ということです。思いっきり想像力を働かせて、各人各様の解釈をしたいです。

 

夏目漱石に「題自画(自画に題す)」という漢詩があります。

 

唐詩読罷倚欄干(とうしよみおわりて らんかんによる)

午院沈沈緑意寒(ごいんちんちんとして りょくいさむし)

借問春風何処有(しゃもんす しゅんぷうはいずれのところにかある)

石前幽竹石閒蘭(せきぜんのゆうちく せきかんのらん)

 

意訳:【唐詩を読むのをやめて窓際の手すりにもたれてみた。昼の中庭は静かで、春というのに寒々としている。春風はどこに行ったんだ? と聞いてみたくなる。あ、そうか、庭石の前の竹がそよいでいる、庭石の間の蘭が吹かれている、あれが春風なのだ

 

この「緑意寒し」という言い方、いいですねぇ。「庭の木々が殺風景で、本当に春はやってきているのだろうか?」ってニュアンスかな。今年の春が、まさにそんな感じです。このとき漱石が読んでいた唐詩が杜牧の「清明」とするのは、あまりにも出来過ぎていますが、作詩の際に念頭にあったのは間違いないでしょう。どちらの詩も転句の「借問○○何処有」が、有効に作用しています。漢詩では常套句で、結句が問題なく腑に落ちるような構成になっています。さらに、漱石の「石前の幽竹石間の蘭」という細かな描写と、杜牧の結句「牧童遙かに指さす杏花村」の大きな風景と、二人の作風の違いを比べてみるのもおもしろいです。

 

(ほととんぼは漢詩に精通しているわけではありません。勝手な解釈&鑑賞です)

 

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