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2012年4月12日 (木曜日)

一茶の桜の句(桜を詠んだ詩歌5)

小林一茶には桜を詠んだ句がたくさんあります。いくつか勝手に鑑賞してみます。

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桜咲く大日本ぞ日本ぞ(さくらさくだいにっぽんぞにっぽんぞ)

→いかにも大きくでました。サクラという植物は、開花すると人々をハイテンションにさせます。恥ずかしげもなく、一茶ならではの句です。

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茶屋むらの一夜にわきし桜かな(ちゃやむらのいちやにわきしさくらかな)

→「茶屋村」とはお花見のために急ごしらえで作られた屋台・露店のこと。一夜にわいたのは茶屋村? それとも桜? いえいえ、両方でした。子規に言わせればこういう句を月並みというのでしょう。もしかして、一茶のころも桜の開花予想があったのかもしれません。そうだとすれば、ただのダジャレではなく、奥の深い句と解釈することも可能です。

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桜へと見えてぢんぢん端折哉(さくらへとみえてじんじんばしょりかな)

→「ぢんぢん端折」が現代人にはよくわかりません。着物の裾をまくってお花見に行く風情とのこと。語呂はいいですね。

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下下に生れて桜桜哉(しもじもにうまれてさくらさくらかな)

此やうな末世を桜だらけ哉(このようなまつせをさくらだらけかな)

→こういう句って、パッとできるのでしょうね。メモを取っておかないとすぐに忘れてしまいそう。庶民の心を一種のブラックユーモアで作った句と解釈して、書きとめながらニタニタと苦笑いしている一茶を眼に浮かべるのは現代人の誤解? 世間を斜めに見ているようで、意外に真面目に詠んでいるのかもしれません。

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さくらさくらと唄はれし老木哉(さくらさくらとうたわれしおいきかな)

→樹齢何百年というような老桜はどこにでもあるもの。「道成寺」という長唄を踏まえているらしいですけど、やはりどこか茶化しているところがあるように思うのは現代人の感覚でしょうか。

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花の陰あかの他人はなかりけり(はなのかげあかのたにんはなかりけり)

→花の下、いろんな集団がゴザを広げて宴を張ると、となりのグループと意気投合して話がはずむこともしばしばです。初対面にもかかわらず他人とは思えない気分になります。これも満開の桜のなせるワザで、ハイテンションの老若男女が見えます。ただ、一茶はそこに「花の陰」を感じたのかもしれません。意味深な句でもあります。

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み仏や寝ておはしても花と銭(みほとけやねておわしてもはなとぜに)

→「」とあるので、現代人には 『世の中やっぱりおカネだよ。ほれ、仏さんもおカネに埋もれてる…』 と解釈したいところですが、一茶の信仰心を考えるとそんな不謹慎な句ではなさそう。純粋に仏さまを崇めていると解釈したほうが無難かも。

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夜桜や大門出れば翌の事(よざくらやだいもんでればあすのこと)

→つきあいで夜桜見物。宴会が果てて、春風に当たりつつ大門を出た。「あ~ぁ、明日は例のところへ行かなくてはならない」と、心ははや明日のこと。急激に酔いが醒める。現代なら、飲み会の後皆と別れて、一人電車に乗るサラリーマンってところです。さっきまでの笑顔が、一瞬で真顔になったりして(笑)

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(参考:荻原井泉水編「一茶俳句集」岩波文庫・矢羽勝幸校注「父の終焉日記・おらが春」岩波文庫)

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