「上ル」「下ル」の話。
京都では北へ行くことを「上ル(アガル)」、南へ行くことを「下ル(サガル)」と言いますが、どうしてでしょうか? 調べてみました。
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いくつかの説がありました。3つ紹介してみます。
①、内裏が北にある 説
内裏といえば天皇の住まいです。そこに行くことを上ルといい、退出することを下ルと言いました。ご存知のように、内裏は平安京の北側の一角(一条~二条の間)ですから、内裏に行くためには、たいていの場所から北の方角に向かうことになります。昔の国名、たとえば上野・下野など、京都に近い方が「上」になっていることも、傍証になるでしょうか。
この説の難点は、中世になるまで京都の地名表示には上ル・下ルは使われていなくて、「高辻よりは北、室町よりは西」「姉小路の南、高辻の東」などと書かれていることです(宇治拾遺物語など) 実際に上ル・下ルが使われるようになったのは秀吉の時代以降で、内裏と直接結びつけるのは無理があるかもしれません。天皇の住まいは、鎌倉時代には現在の京都御所のあたりになっています。
②、土地の高低による 説
京都市内は基本的に北へ行くほど標高が高く、南は低くなります。九条にある東寺の高さと、北大路通りの高さがほぼ同じであるとは、よく言われます。当然ながら、高い所へは上ル、低い所へは下ルです。また、高低があると言っても、なだらかな坂道で、階段を上がるような印象はありません。上ルと書いて「ノボル」ではなく「アガル」というのは、そのへんの微妙なニュアンスを言い得ているのかもしれません。
ちなみにノボルとアガルの違いは、
ノボル→高い方へ向かうプロセス
アガル→結果を意味する
です。たとえば「階段をノボって、二階へアガル」です。京都の上ル・下ルは主に地名表示に使われますから、結果をあらわすアガルとなります。(いささか微妙ですが…)
③、漢語に「北上」「南下」という言葉があった 説
地図を描く際、上が北になっているのはなぜか? という問題はさておいて、平安京の古地図をみても、たいてい上が北になっています。「天子南面す」という言葉もあり、内裏を都の北に置くとともに図面上部に描いたからでしょうか。李白に「北上行」なる詩があり、もともと中国に北上・南下という熟語がありました。
ただ、奈良の都平城京は、どうして上ル・下ルと言わなかったのでしょうか。上ル・下ルは秀吉の都市政策以降の言い方なので、あとからのこじつけ説のような気もします。
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というわけで、いずれの説も一長一短、説得力はあるが疑問も残った次第。
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