蝸牛角上争何事(白楽天「對酒」)
【對酒(さけにたいす)】白居易
蝸牛角上争何事(かぎゅうかくじょう なにごとをかあらそう)
石火光中寄此身(せっかこうちゅう このみをよす)
隨富隨貧且歓楽(とみにしたがい まずしきにしたがいて しばらくかんらくせよ)
不開口笑是癡人(くちをひらきてわらわざるは これちじん)
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意訳:カタツムリの角の上で、いったい何を争うのか。(この世の人は)火打石の光の一瞬の中に身を寄せているようなものだ。富めば富んだで、貧しければ貧しいなりに、しばらく楽しもうではないか。口を開けて笑わない者はバカだよ。
この詩は荘子則陽篇の寓話を詩にしたものとされています。
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有国於蝸之左角者、(蝸(か)の左角(さかく)に国するものあり)
曰觸氏、(觸氏(しょくし)という)
有国於蝸之右角、(蝸(か)の右角(うかく)に国するものあり)
曰蛮氏、(蛮氏(ばんし)という)
時相與争地而戦、(時に相ともに地を争うて戦う)
伏尸数万、(伏尸(ふくし)数万)
逐北旬有五日而後反、(北(に)ぐるを逐(お)い、旬有五日(じゅんゆうごにち)にして後反(のちかえ)る
意訳:カタツムリの左側の角に建国した者がいた。觸氏という。カタツムリの右側の角に建国した者がいた。蛮氏という。觸蛮両氏は、土地を争って戦った。戦死者は数万人、一方が北へ逃げるのを追って、十五日後に国に帰った。
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人間同士の争いは、たとえ国と国の争いでも、無窮の宇宙にあっては、しょせんカタツムリのツノの上の争いのようなちっぽけなものにすぎないということです。「カギュウカクジョウノアラソイ(蝸牛角上の争い)」、「カカクノアラソイ(蝸角の争い)」などと言います。世情を眺めていて、『なるほどなぁ』 と考えさせられます。それにしても、蝸牛(カギュウ)、カタツムリ、デンデンムシ、マイマイ、いろんな言い方をしますが、最近姿を見なくなりましたね。ナメクジは今でもよく見かけるんですけど…(笑)
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