世情と世上と世常(世の常)の違い
加藤楸邨の書いた「芭蕉秀句」の『旅寝して見しや浮世の煤掃』の解説文に「世常」という言葉を見つけました。曰く、
『この句ではっきり対照的に置かれたのが、旅寝のわが身と、煤掃をする世常の世界とである…』
読んだ私は、「あれ? これって世情ではないのか。いや、世上だっけ? 世の常ならわかるけれども、普通、世常とは言わないと思うけどなぁ…」
そこで、世情・世上・世常の違いを調べてみました。
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辞書を引くと、
●せじょう【世上】(その人が現在、その中に住んでいる)世の中。「世上(=現在、世の中に)行われている風説」
●せじょう【世情】裏もある、複雑な人間社会の事情。「世情に通じている」
やはり世常の項はありませんでした。かわりに世の常を挙げてみます。
●よのつね【世の常】①世の習い。②世間に普通に見られる(行われている)物事。「世の常の人間ならば」
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三つの言い方の違いを見てみると、世上とは単純に「世の中」の意味で、世情には、文字通り「人情の要素」がこめられているようです。そして、世の常となると「人間の行為・営み」を言う言葉のような感じがします。
で、加藤楸邨の解説文ですが、芭蕉の句に「浮世」とありますから、単純に世の常を縮めて世常と書いているだけですね。考えてみれば、なんでもないことでした。ちなみに世常を逆にした常世(とこよ)になると、全く意味が違ってしまいます。
●とこよ【常世】①永久に変わらないこと。②常世の国の略。【常世の国】①遠く隔たった所に在ると考えられた(不老不死の)国。②よみじ。黄泉(こうせん)
要するにあの世のことです。
※参考:加藤楸邨著「芭蕉秀句上」(角川新書)、新明解国語辞典(三省堂)
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