「七夕祭」と「菅公の歌」(北野天満宮にて)
七月七日、北野天満宮にて七夕祭が催されるというのを聞き、見学してきました。
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参道横の駐車場に大きなテントがしつらえてあり、大勢の人だかりができています。後ろからのぞいてみると、ちょうど七夕祭の神事が行われているところでした。
正面には「棚機姫大神」と書かれています。神事の後、近隣の幼稚園・保育園児による歌や踊りの奉納がありました。
我が子の姿をビデオに収めておられる方、孫に手を振るおじいちゃんおばあちゃんなど、おごそかな中にも和気あいあいとした雰囲気です。
『北野天満宮の七夕祭って、我が子の晴れ舞台なんだ。笹に願い事をいっぱい書いて、歌って踊って…親子そろっていい思い出になるよなぁ』
と、神社のシャレた演出に感心した次第です。
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参道を進んでいくと、楼門に菅公(菅原道真)の歌が掲げられているのを見つけました。
「ひこ星の行あひをまつかささぎの渡せる橋をわれにかさなむ」(ひこぼしのゆきあいをまつかささぎのわたせるはしをわれにかさなん)
とあります。この歌、新古今集に載っています(1698) 直訳すると、
『彦星と織女星との出逢いを待って天の川にかけるというカササギの橋を、どうか私に貸してほしいものだ』
です。
カササギ(鵲)はカラスに似た鳥で、中国の伝説によると、七夕の夜に彦星と織姫が出逢うとき、天の川に翼を広げて橋渡しをすることになっています。また「かささぎの渡せる橋」というのは、小倉百人一首に採られている大伴家持の歌 「かささぎの渡せる橋におく霜の白きをみれば夜ぞふけにける」でもわかるように、宮中の階(きざはし=昇殿するための階段)にたとえられます。だとすれば、この歌は右大臣菅原道真が太宰府に流されたのち、内裏を思って詠んだことになります。その心を意訳すれば、
『カササギの翼があれば、もう一度宮中の階段を登ることができるのだ。だれか仲立ちをして、私を京都に呼び戻してくれないだろうか…』
です。彦星と織姫の伝説も悲しいですが、左大臣藤原時平の讒言により無実の罪を得て、遠く大宰府で亡くなった菅公の生涯も悲しいです。
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いまごろの季節(七月初旬~中旬)って、だいたいが梅雨の末期で雨の日が多いです。彦星と織姫が出逢うロマンチックな七夕も、実際に星が見えることは少ないので、いまひとつ盛り上がらないのもそのせいだと思います。
でも、今日は天気もよく、園児たちはみんな元気いっぱいでした。素敵な七夕祭をありがとうございました(笑)
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