« 嵌る | トップページ | バッテラ »

2012年7月10日 (火曜日)

馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり(芭蕉)

野ざらし紀行(甲子吟行)にある芭蕉の句を、勝手に鑑賞してみます。

ーーーーーーーーーー

二十日余りの月かすかに見えて、山の根ぎはいと闇きに、馬上に鞭を垂れて、数里いまだ鶏鳴ならず。杜牧が早行の残夢、小夜の中山に到りて忽ち驚く。

馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり(うまにねてざんむつきとおしちゃのけぶり)

ーーーーー

前書きに言う「杜牧が早行の残夢」というのは、杜牧の『早行詩』のことをいっています。

早行詩

垂鞭信馬行(むちをたれて うまにまかせてゆく)

数里未鶏鳴(すうり いまだけいめいならず)

林下帯残夢(りんか ざんむをおび)

葉飛時忽驚(はとんで ときにたちまちおどろく)

霜凝孤鶴迴(しもこって こかくはるかに)

月暁遠山横(つきあかつきにして えんざんよこたわる)

僮僕休辞険(どうぼく けんをじするをやめよ)

何時世時平(いつのときか せいじたいらかならん)

意訳:鞭を垂れて馬にまかせて進んで行く。数里来たがまだ鶏鳴は聞こえない。林の道をうとうとしていると、木の葉の飛ぶ音に驚かされる。霜は凝り固まって、かなたに鶴が一羽と、有明の月の向こうの山々が見える。僮僕よ、この先の厳しさを言わないでくれ。いつの日か平和な世が来るだろう。

ーーーーー

夜通し馬に乗って旅を続けた芭蕉は小夜の中山宿に着きました。馬上に寝ていたのが、次第に眠りから覚めていきます。「馬に寝て」「残夢」「月遠し」までは、まさに杜牧の詩のままです。「茶のけぶり」が飛びこんできて、ふと我にかえりました。「茶のけぶり」は天下太平の象徴です。杜牧の詩では、最後に世の中が治まらないことを嘆いていますが、芭蕉の句では世の中がすっかり治まっていることを言っています。そこが俳諧であり換骨奪胎です。「馬に寝て」「残夢」「月遠し」「茶のけぶり」と、四段に途切れた詠みっぷりは、どことなしにけだるい寝覚めを感じさせ、音楽性を重んじる芭蕉の特徴がよく出ています。

※勝手に鑑賞とは言うものの「芭蕉ーその鑑賞と批評ー(山本健吉著)」を参考にしました。芭蕉の句といい、山本健吉の解説といい、いずれもすばらしいものです。感動して記事にした次第です(笑)

【318】

« 嵌る | トップページ | バッテラ »

勝手に鑑賞「古今の詩歌」」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり(芭蕉):

« 嵌る | トップページ | バッテラ »