すぎたるはなおおよばざるがごとし(論語)
子貢問、師與商也孰賢乎、子曰、師也過、商也不及、曰、然則師愈與、子曰、過猶不及也(先進第十一・16)
『子貢問う、師(し)と商(しょう)とはいずれかまされる。子曰く、師や過ぎたり、商や及ばず。曰く、しからばすなわ則ち師はまされるか。子曰く、過ぎたるはなお及ばざるがごとし』
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意訳:
子貢が「子張(師)と子夏(商)ではどちらがすぐれていますか?」と聞いた。孔子(先生)がおっしゃった。 「子張は行き過ぎている、子夏は足らないところがある」 「それでは子張がまさっているのですか」と言うと、孔子(先生)は「行き過ぎているのも、足りないのと同じようなものだ」とおっしゃった。
(※子張・子夏はともに孔子の弟子の名前)
「過ぎたるは及ばざるがごとし」
だれもがよく耳にする慣用句です。「行き過ぎるのもよくない。足らないのもよくない。何事もほどほどが肝心だ」という戒めです。論語は、人間が生きていくための処世術をまとめたものだと言われます。孔子の思想は「儒教」という言い方をすることもありますが、それは決して宗教という意味ではなく、むしろ道徳(修身)といった意味合いでとらえて、日々の生活の教訓として読んでいけばいいと思います。
で、実際の人付き合いの中で、この言葉はどうでしょうか?
「ホンマにそのとおり!当たってる!」
「いや、物事に“やり過ぎ”っちゅうことはないんや。とことんまでやったらええ!」
「違う違う、そんなことない。むしろ足らないくらいのほうがええと思うでぇ」
結局、ひとりひとりが自分で考えるしかないです(笑)
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