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2012年8月10日 (金曜日)

昼顔やどちらの露も間に合はず(也有)

横井也有の句、

昼顔やどちらの露も間に合はず(ひるがおやどちらのつゆもまにあわず)

を鑑賞します。この句、一読して、何のことやらわかりませんでした。解説本などにあたってみて、なんとか意味をとることができました。

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意訳:アサツユに濡れるアサガオでもなく、ユウツユにまみれるユウガオでもない「ヒルガオ」は、夏の炎天下に可憐な花を咲かせる。朝露、夕露のどちらにも間に合わないのは、さぞ恨みがましいことであろうな。

解説本によると、朝・昼・夕を読み込んだ川柳的な穿ちととらえたり、朝露・夕露のどちらもつかない中途半端な昼顔が、自分(也有)の人生を象徴しているととらえたり、いろんな解釈があるようです。

加賀千代女が『どちらの露のめぐみより としたほうが、もっとよかったのに』と言ってきたとき、当の也有は、『昼顔を賞翫するあまり、露を添えてみたいと思ったが、朝露はすでに消え、夕露はいまだ置かずという、恨んだ心を詠んだもの』と答えたそうです。

芭蕉に、

夕べにも朝にもつかず瓜の花(ゆうべにもあさにもつかずうりのはな)

という同想の句があり、也有の句は、これを焼きなおしたのではないかとも思われます。

両句ともダジャレに近い「月並み」の句と評されているようです。ただ、現代人は朝露・夕露を認めることが少なく、句の意味がわからなくなってきているのも事実です。(私がそうでした) 

当時はだれでも瞬時に理解できたであろうに、時代の移り変わりによって、説明を必要とされるようになります。作者の芭蕉や也有は、悲しい思いをしていることでしょう。

3481(鴨川の堤防にて)

【349】

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