くんしはこれをおのれにもとめ、しょうじんはこれをひとにもとむ(論語)
子曰、君子求諸己、小人求諸人(衛霊公第十五・21)
『子曰く、君子は諸(こ)れを己(おのれ)に求め、小人は諸(こ)れを人に求む。』
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(意訳)
孔子(先生)がおっしゃった。「物事がうまくいかないとき、君子は(その理由を)自分に立ち返って反省するが、小人は(いつも)他人のせいにする」
論語は全部で二十編からなっていますが、一説によると、もともと学而編(第一)~郷党編(第十)までの十編が先にあって、あとの先進編(第十一)~堯曰編(第二十)までは後世の人によって付け加えられたのではないかとも言われています。つまり、孔子の言葉がそのまま伝えられているのは前半の十編だけで、後半の十編は弟子たちが創作したのではないかというのです。ただ、実際に論語を読んでみると、むしろ後半の十編のほうに、参考になることが多く書かれている気がします。まぁ、そういうものかもしれませんね。
さて、十五番目の編、「衛霊公」にあるこの言葉の意味はとても簡単です。『自分が失敗しているくせに、いつも人のせいにしやがって…、困ったものだ』 という、ある意味、孔子の愚痴にも聞こえます。
「笑って済まそう、自分の失敗。しつこく突つこう、他人の失敗」
などと言って、他人の失敗や悪いところばかりを責めるタイプの人間はあらゆるところに存在します。政治家や企業の経営者、身近なところでは、職場の上司・先輩などです。そして、この章を読んで考えなければならないのは「自分はどうか?」ということです。心にとどめておきたい言葉だと思います。
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