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2012年8月 7日 (火曜日)

去者日以疎 来者日以親(無名氏)

文選、古詩十九首よりその十四

 を鑑賞します。

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去者日以疎(さるものはひにもってうとく)

来者日以親(きたるものはひにもってしたし)

出郭門直視(かくもんをいでてちょくしすれば)

但見丘與墳(ただきゅうとふんとをみるのみ)

古墓犂為田(こぼはすかれてたとなり)

松柏摧為薪(しょうはくはくだかれてたきぎとなる)

白楊多悲風(はくようひふうおおく)

蕭蕭愁殺人(しょうしょうとしてひとをしゅうさつす)

思還故里閭(こりのりょにかえらんとおもい)

欲帰道無因(かえらんとほっするもみちよるなし)

意訳:

去って行く者のことは日ごとに忘れていき、やってくる者とは日ごとに親しくなっていく。町の城門を出て見渡せば、どこまでも丘と墓が見えるだけだ。古い墓は耕されて田となり、マツやヒノキは切り倒されて薪となる。白楊には悲しい風が吹き、ショーショーとして人を愁いにおとしめる。あぁ、故郷に帰ろうと思っても、その方法が見つからないのだ。

※白楊=ポプラ、はこやなぎ、どろやなぎ、ドロノキなどの解釈あり。

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サルモノハヒニモッテウトク キタルモノハヒニモッテシタシ」 去者と来者、まず出だしの対句で読む者の心に迫ります。「カクモンヲイデテチョクシスレバ タダキュートフントヲミルノミ」 と、悲しい中にも、リズムのいい言葉が続きます。「コボハスカレテタトナリ ショーハクハクダカレテタキギトナル」 という再びの対句から、「ハクヨーヒフーオーク ショーショートシテ ヒトヲシューサツス」 で最高潮に達します。たぶん「ョーョートテ ヒトヲュー」とS音が続くのが心地よいのでしょう。ただ、最後の「コリノリョニカエラントオモイ カエラントホッスルモ ミチヨルナシ」は、詩のストーリーとしては重要なのかもしれませんが、音感が幾分ぎこちなく、無用の感がなくもないです。

それにしても感動的な詩です。こんなにすばらしい作品の作者が無名氏というのが、私には悲しいです。

【346】

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