« おめでたい話(ボールペン) | トップページ | 久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも(子規) »

2012年8月25日 (土曜日)

流れ行くわれはみくづと成りぬとも君しがらみとなりてとどめよ(菅公)

八月二十五日、天神さん(北野天満宮)におまいりしました。

3642_2

ーーーーーーーーーー

今回は、楼門に掲げられていた、菅公菅原道真)が大宰府に流されるとき、宇多法皇に奉ったとされる歌を鑑賞してみたいと思います。

3647

流れ行くわれはみくづと成りぬとも君しがらみとなりてとどめよ

(ながれゆくわれはみくずとなりぬともきみしがらみとなりてとどめよ)

意訳:『(大宰府に)流されていく私は水屑となるとしても、我が君よ、どうかしがらみとなってせきとめてください

昌泰四年(7月改元されて延喜元年、901年)、それまでとんとん拍子に出世していた菅公でしたが、左大臣藤原時平の讒言にあって大宰府に流罪となります。菅公は、時の天皇(醍醐帝)の父で、菅公の庇護者でもあった宇多法皇を御室御所(仁和寺)に訪ねます。法皇の口添えによって、なんとか無実の罪を晴らしてもらおうと考えたのです。しかし、すでに隠居の身であり、後難を恐れた宇多法皇は、勤行中と称して、会おうとはしませんでした。この歌は、その際に奉られたものと考えられ、宇多法皇に対する、怒りともあきらめともとれる気持ちが込められています。

3648(仁和寺の菅公腰掛石

現在、御室仁和寺には、菅公が腰掛けて、宇多法皇がお出ましになるのを待ったという、水掛け不動尊「菅公腰掛石」が伝えられています。

この歌、大鏡にほぼ同じ形で出ています。大鏡によれば、大宰府での菅公は、よほど京都が恋しかったらしく、またまわりの人々も無実の罪で流された菅公を憐れんでいる様子がわかります。その後、清涼殿に雷が落ちたり、藤原時平が早逝するなど、菅公の怨霊の仕業と言われるようになるのは周知のとおりです。

(※扶桑略記の記事によると、実際は、宇多法皇は道真の左遷を聞いて、すぐに内裏に参内し、醍醐天皇に意見しようとしたのを、天皇が会わずに門前払いしたとのことです。菅公腰掛石はあくまでも伝説ということです)

3641_2
現在の北野天満宮は、学問の神様として大にぎわいです。

【364】

« おめでたい話(ボールペン) | トップページ | 久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも(子規) »

ご利益さん」カテゴリの記事

勝手に鑑賞「古今の詩歌」」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

« おめでたい話(ボールペン) | トップページ | 久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも(子規) »