« 去者日以疎 来者日以親(無名氏) | トップページ | 「京の七夕」…スタンプラリー完成!(涼を求めて④) »

2012年8月 8日 (水曜日)

蕪村の「今朝の秋」の句

立秋を迎えました。蕪村の詠んだ「今朝の秋」の句を、いくつか勝手に鑑賞します。

今朝の秋=立秋の朝

ーーーーーーーーーー

【幮こしに鬼を笞うつ今朝の秋】(かやごしにおにをむちうつけさのあき)

と書いて「かや」と読むようです。蚊帳のことです。鬼とはの比喩でしょうか。字面通りに読めば、『立秋を迎えてこころなしか蚊の動きが弱くなったのを、バシッと叩いてやったわい』 という意味にもとれますが、今どきは蚊帳を使うこともなく、いささか解釈に困る難解句です。この句、別案として、【病起て鬼をむちうつ今朝の秋(やみおきておにをむちうつけさのあき)】というのがあり、『病気がなおってようやく病魔(鬼)をむちうつことができる、そんなさわやかな今朝の秋であることよ』と解されています。「幮こしに」も病み上がりの句と考えてよいのかもしれません。

ーーーーー

温泉の底に我足見ゆるけさの秋(ゆのそこにわがあしみゆるけさのあき)

温泉と書いて「」と読ませています。湯治に行ったときにでも詠んだのでしょうか。現代人の頭に浮かぶのは足湯ですね。温泉宿に一泊した翌朝、湯につけた足をのんびりと見つめている姿が想像できます。「今朝の秋」にさわやかさを感じる佳句です。

ーーーーー

きぬぎぬの詞すくなよ今朝の秋(きぬぎぬのことばすくなよけさのあき)

きぬぎぬ(後朝)の男女が言葉も少なく、物憂い時間を過ごしています。「今朝の秋」とつかず離れず、雰囲気のある句です。蕪村得意の王朝イメージの換骨奪胎で、何か典故があるのかもしれません。

ーーーーー

硝子の魚おどろきぬけさの秋(びいどろのうおおどろきぬけさのあき)

硝子と書いて「びいどろ」と読みます。ガラス製品のことですが、要するに金魚鉢と解していいと思います。立秋の朝、金魚鉢の中の金魚が、さすがに今日は涼しいな と驚いているというのです。蕪村の当時、金魚鉢はどのくらい普及していたのでしょうか。現代人がそのまま読めば、季題趣味のなんでもない句です。ただ、蕪村のことです。何か物語的要素があるのかもしれません。

ーーーーー

うちはして燈けしたりけさの秋(うちわしてともしけしたりけさのあき)

うちはは「団扇」です。この句、団扇=夏、今朝の秋=秋で、季重なりが気になります。団扇で涼、今朝の秋で涼。そして、「燈消したり」が意味深です。上の句同様、古典にでも題材があるのでしょうか。ただ、全体にもうひとつ盛り上がりに欠けるようです。

ーーーーー

御佛のなを尊さよけさの秋(みほとけのなおとうとさよけさのあき)

立秋の朝の仏さまは、いつもよりもなお一層尊いお姿だというのです。御仏とは大寺の御本尊? それとも持仏? 「なお尊さよ」とありますので、日ごろ見慣れた仏さまであることがわかります。「けさの秋」がよく効いています。

ーーーーー

立秋といえば、太陽暦では8月8日前後で真夏の盛りです。陰暦の蕪村の時代とは季節感が違うとはいえ、テレビの天気予報で立秋を迎えたと聞くと、なぜか涼しい気分になるのが不思議です。日本人の心のどこかに、

【秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる】(藤原敏行朝臣、古今集169)

の歌があるからで、この歌を凝縮した季語「今朝の秋」には、季節の節目という感じが色濃く表れています。それは蕪村の句のいずれにも見てとれます。

※参考:岩波文庫「蕪村俳句集」頴原退蔵編註、同文庫「蕪村俳句集」尾形仂校注。

3471

【347】

« 去者日以疎 来者日以親(無名氏) | トップページ | 「京の七夕」…スタンプラリー完成!(涼を求めて④) »

勝手に鑑賞「古今の詩歌」」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 蕪村の「今朝の秋」の句:

« 去者日以疎 来者日以親(無名氏) | トップページ | 「京の七夕」…スタンプラリー完成!(涼を求めて④) »