里人はさともおもはじをみなえし(蕪村)
先日来、蕪村句集講義(東洋文庫)を手にしてから、蕪村の句の解釈に凝っております。今回は、
【里人はさともおもはじをみなえし】(さとびとはさともおもわじおみなえし)
を鑑賞します。
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意訳:女郎花(おみなえし)といえば、秋の七草として万葉集以来の風流な花なのに、さとびと(里人)はさと(それほど)も珍重がらない。
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この句、蕪村句集講義ではまず河東碧梧桐が口火を切ります。
「『さとも』は、さりとも、さようにという意味で、蕪村にしてはいかにも浅薄な句。里人のさとと掛っているようでイヤミがある。蕪村句集中、劣悪の句であろう」
すると内藤鳴雪が、
「さともは、何とも掛っていないと見てもよい。そこまでけなすこともなく、頭から切って捨てることもないと思う」
と擁護し、最後に正岡子規の、
「この句の意はどうもはっきりせぬ」
で終わっています。
彼らホトトギスのメンバーがいくら蕪村を客観写生の句として評価していたとしても、そこまで買い被ることはないと思い、笑ってしまいます。もちろん女郎花の見た目の好き好きもあるでしょうが、この句の意(意味? 意図?)がはっきりしないなんて、どう見ても、里人とさともを掛けた言葉遊びを含んでいることは間違いないです。そして言葉遊び(掛け言葉)は、劣悪でもイヤミでもなく、日本語の美しい表現方法のひとつです。どうしてその部分を評価しないのかなぁ。掛け言葉にはコミュニケーションを円滑にし、日常生活を豊かにする力があります。
とはいえ、三人の真剣なやりとりには感嘆します。「蕪村句集講義」は、蕪村を愛し、日本語を愛する人々のすばらしい輪講記録であることに違いはありません。
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