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2012年9月30日 (日曜日)

つきはくまなきをのみ、みるものかは。

徒然草百三十七段一部を鑑賞します。

4001
花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行衛知らぬも、なほ、あはれに情深し。…

意訳:桜は満開のとき、月はくまなく照らしているときだけを、見て楽しむものであろうか? 雨に向かって満月を恋しく思い、すだれを垂れて、春が過ぎていくのを知らずに過ごすのも、それはそれで、しみじみとした趣があるものだ。

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なるほど。そうかもしれません。

徒然草の百三十七段はいささか長くて、たとえ話を交えながら、作者兼好の美意識や人生観が展開されます。

…すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨のうちながらも思へるこそ、いとたのもしうをかしけれ。よき人は、ひとへに好けるさまにも見えず、興ずるさまも等閑なり。片田舎の人こそ、色こく、万はもて興ずれ。花の本には、ねぢより、立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み、連歌して、果は、大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には手足さし浸して、雪には下り立ちて跡つけなど、万の物、よそながら見ることなし。

意訳:…(そもそも)月や花は、そんなふうに目だけで見て楽しむものであろうか? 春は家を出なくても、月の夜は寝間の中から、心に花や月を思うことこそ、大変頼もしく、趣があるものだ。教養のある都会人は、決して物好きには見えず、賞翫する様子もあっさりしている。(ところが)片田舎の人となると、しつこくすべてを見尽くそうとするものだ。花と見れば、入れ替わり立ち替わり脇目もふらずに見つめ、酒を飲み、歌を唱い、あげくのはてには大きな枝を心無く折ってしまう。泉と見れば手足を浸し、雪と見ればうろうろして足跡をつけるなど、何事も、離れたところから見るということをしないのである。

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そうか。ちょっと離れたところから見るというのが教養人というものか。名月が見れないくらいでがっかりしててはいけないんだなぁ。

4002(2012年9月30日午後9時)
というわけで、今宵、仲秋の名月(のハズ)。

台風17号の影響により、残念ながらお月さまの姿が見えません。

【400】

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