負まじき角力を寝ものがたり哉(蕪村)
週末、少年野球をやっている孫が試合に負けてがっかりしているので、励ましの意味を込めて
【負まじき角力を寝ものがたり哉】(蕪村)
を鑑賞してみます。とはいえ、孫は小学校6年生。俳句が理解できるかな。
ーーーーーーーーーー
この俳句は、
『まくまじき すまいを ねものがたりかな』
と読みます。作ったのはいまから250年ほど前に京都に住んでいた蕪村(ぶそん)という人です。
(蕪村が住んでいた家)
まず、言葉をひとつづつ分解してみると、
負まじき(まくまじき)=負けるはずがなかった
角力(すまい)を=相撲(すもう)を
寝ものがたり(ねものがたり)=夜寝る前に家族と、今日はこんなことがあった、楽しかった、悲しかった、などの話をして、喜びを分かち合ったり、憂(う)さを晴らしたりすること
哉(かな)=俳句特有の言い回し。最後に使って心に残る印象(余情といいます)を与えます。
となります。たぶん、相撲見物に行った蕪村が、負けて悔しそうにしていた力士(お相撲さん)の心をくみ取って俳句にしたのだと思います。全体を通して説明すると、
今日の取り組み(試合)は、負けるような相手ではなかったのに負けてしまった。夜寝る前に家族に、『残念だった。相手がまさかあんな作戦で来るとは思わなかった。あそこでこうすればよかった』と、ぶつぶつ文句を言いながら反省して、うさ晴らしをしているうちに、たんだん気分が晴れて、次はがんばろうという気になってきた。
ということです。
どうかな? 意味がわかったかな? 相撲を野球に代えれば
『負まじき野球を寝ものがたり哉』
です。試合に負けてもめげずに、負けた原因を反省して、みんなで励ましあってください。おじいちゃんおばあちゃんも応援しています。
↑バッターボックスの姿がカッコイイ、とおばあちゃんが言ってます(笑) 次の試合には勝てるといいですね。がんばれー。
【373】
« たち別れいなばの山の峰に生ふるまつとしきかば今帰り来む(在原行平) | トップページ | 夫人必自侮 然後人悔之(孟子) »
「 勝手に鑑賞「古今の詩歌」」カテゴリの記事
- 夏風邪はなかなか老に重かりき(虚子)(2014.05.21)
- 後夜聞仏法僧鳥(空海)(2014.05.20)
- 夏といへばまづ心にやかけつはた(毛吹草)(2014.05.19)
- 絵師も此匂ひはいかでかきつばた(良徳)(2014.05.18)
- 神山やおほたの沢の杜若ふかきたのみは色にみゆらむ(藤原俊成)(2014.05.17)
コメント
« たち別れいなばの山の峰に生ふるまつとしきかば今帰り来む(在原行平) | トップページ | 夫人必自侮 然後人悔之(孟子) »
>竹馬の友さん
藤子不二雄さん云々のたとえ、うまいこといいますね。おっしゃるとおりです。
トップ画像がブログタイトルにマッチしてないとのご指摘、ありがとうございます。実は、オリジナル写真を使う方法を理解していないのですよ(苦笑) せっかくサジェストいただいたので、ちょっと研究してみます。
投稿: ほととんぼ | 2012年9月 7日 (金曜日) 09時52分
何だか逸らかされてしまいましたね。
藤子不二雄さんの A と F みたいなもんでしょうか...
ブログトップの画像を京都散策の折りに撮られた
お写真にでも差し替えられると、ブログタイトルに
マッチするのでは ?
投稿: 竹馬の友 | 2012年9月 7日 (金曜日) 08時50分
>竹馬の友さん
あちゃー、びっくりさせてしまいましたか(笑) それでは、少々説明させていただきます。谷崎潤一郎の文章読本の『含蓄について』の項に次のような言葉があります。
「含蓄といいますのは、言い換えれば、『あまりはっきりさせようとせぬこと』、『意味のつながりに間隔を置くこと』になるのであります。…(中略)…それが甚だ大切な要素なるが故でありまして、この読本は始めから終りまで、ほとんど含蓄の一事を説いているのだと申してもよいのであります。…(後略)」
当ブログは大谷崎の文章には及びもつきませんが、最高のものとしてお手本にしております。どこまでが事実でどこからが創作かわからない、すなわち含蓄を旨として綴っております。というか、この記事についてはカモフラージュですが。(苦笑)
そこのところを汲み取っていただければ幸いです。模様替えは、ココログのテンプレートから変更させていただきました。いつもコメントをありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。m(_ _)m
投稿: ほととんぼ | 2012年9月 4日 (火曜日) 21時26分
え"~っ ! お孫さん って..
で、模様替えされたのですね。.
投稿: 竹馬の友 | 2012年9月 4日 (火曜日) 19時45分