九月十日&九月十五日(菅原道真)
菅原道真(菅公)が大宰府の配所で詠んだといわれる、日付入りの漢詩を二首鑑賞します。
九月十日と九月十五日(ただし旧暦)です。
(北野天満宮)
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【九月十日】(くがつとおか)
去年今夜侍清涼(きょねんのこんやせいりょうにじす)
愁思詩篇独断腸(しゅうしのしへんひとりだんちょう)
恩賜御衣今在此(おんしのぎょいいまここにあり)
捧持毎日拝余香(ほうじしてまいにちよこうをはいす)
意訳:思えば去年の今夜は清涼殿で帝のおそばにお仕えしておりました。「愁思」という題で詩を作ってほめていただいたのも、(配所で過ごす)いまとなっては断腸の思いです。そのとき賜りました恩賜の御衣はいまもここにあります。こうして捧げ持って、毎日余香を拝しております。
大鏡によれば、都でこの詩を聞いた人々は、いたく感動したとあります。われわれ現代人にとっても、菅公が無実の罪で流罪になったことを知ってこの歌を鑑賞すれば、同情の心を禁じ得ません。菅公にはまた次のような詩もあります。
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【秋夜 九月十五日】(しゅうや くがつじゅうごにち)
黄萎顔色白霜頭(きにしぼむがんしょくしろきしものこうべ)
況復千餘里外投(いわんやまたせんよりがいにとうぜらるるをや)
昔被栄花簪組縛(むかしはえいがをこうむりしんそにしばられ)
今為貶謫草萊囚(いまはへんたくとなってそうらいのしゅうたり)
月光似鏡無明罪(げっこうはかがみににたるもつみをあきらかにするなく)
風気如刀不破愁(ふうきはたちのごとくなるもうれいをやぶらず)
隨見隨聞皆惨慄(みるにしたがいきくにしたがいてみなさんりつ)
此秋独作我身秋(このあきはひとりわがみのあきとなる)
意訳:顔色は黄色、まるで霜がおりたのような白い髪の毛。それもそのはず、都を遠く離れた配所にいるのだから。昔は冠と簪(かんざし)をつけた華やかな身の上だった。今は流罪に貶められた雑草のとらわれ人だ。今宵十五夜の月は鏡に似ているけれど、罪を晴らしてはくれない。今宵吹く風は太刀のごとくに鋭いけれど、愁いを晴らしてはくれない。見るもの聞くもの、皆、心がいたむ。(あぁ)この秋の日々は、ひとり我が身にだけ降りかかるのだ。
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菅公が大宰府に左遷されたのが延喜元年(901年)の一月で、これらの詩はその年の九月に詠んだとされています。そして一年半後の延喜三年(903年)二月に、悲しみと恨みとを含んだまま、かの地でお亡くなりになりました。
現在の北野天満宮境内のなで牛さんは、そんな菅公の心をよそに、無邪気なお顔立ちです。合掌。
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