砂の如き雲流れ行く朝の秋(子規)
今朝出かけるとき、うっすらとした雲が青空に広がっていました。
鰯雲・うろこ雲とはちと違います。こういう雲を巻雲・すじ雲といって、高層(5000m以上?)にできる雲なのだそうです。
正岡子規の句を鑑賞します。
【砂の如き雲流れ行く朝の秋】(すなのごときくもながれゆくあさのあき)
子規はたぶん、今日私が見た雲と同じ雲を見て詠んだのだと思います。「砂の如き雲」とはよく言ったものです。まさに見たままです。この句、下五に「秋の朝」ではなく「朝の秋」と置いたのが眼目です。
『ある朝、秋の一風景として砂の如き雲を見つけたのなら「秋の朝」だが、そうではなく、日々移り変わる朝の風景の中にふと砂の如き雲を見つけ、秋だ!と感じたのだから、これは絶対に「朝の秋」でなければならぬ。譲れぬ!』
と、子規になったつもりで勝手に解釈しました。要するに、子規は朝の中に秋を見つけたのです。毎朝同じ時刻に出勤する現代のサラリーマンにとっては、たしかにそうです。季節の中に朝があるのではなく、朝の中に季節の移ろいがあります。子規の表現が理解できます。
今朝は、バス停に向かうまで、何度も空を見上げておりました。文句なしのすばらしい秋空でした。
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