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2012年10月 1日 (月曜日)

十六夜。

4012
十五夜の翌日、十六夜を「いざよい」と読むのはどうしてでしょうか? 調べてみました。

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辞書(新明解国語辞典)で引くと、

いざよい (ためらう意の雅語の動詞「いさよふ」の名詞形の変化) 陰暦十六日夜(の月)。普通「十六夜」と書く。

とありました。どうやら、前夜、十五夜の月は日暮とほぼ同時に出てくるのに、翌十六日の月は日没後ちょっとためらって出てくるので、「いざよい」と呼ぶようです。

ちなみに、今年(2012年)の京都の場合、仲秋の名月・十五夜(9月30日)と翌十六夜(10月1日)の日の入・月の出は次の通りです。

    9月30日  10月1日

日の入 17:43   17:41

月の出 17:31   18:03

時間差 +11分   -22分

たしかに、十五夜の月は日没11分前から姿を見せますが、十六夜は沈んでから22分待たなくてはなりません。月が出るのをためらっていると古人が感じたのは、自然な印象のようです。

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万葉集から作者不詳の歌を二首見つけました。

●【山の末にいさよふ月を出でむかと待ちつつ居るに夜そ更けにける】(1071)

(やまのはにいさよふつきをいでむかとまちつつおるによそふけにける)

意訳:山の端にためらってなかなか出てこない月を待っているあいだに、夜も更けてしまった。

●【山の末にいさよふ月を何時とかもわが待ち居らむ夜は深けにつつ】(1084)

(やまのはにいさよふつきをいつかともわがまちおらむよはふけにつつ)

意訳:山の端にためらってなかなか出てこない月を私はいつまで待っていることだろう。夜が更けてきているのに。

とてもよく似た二首ですが、ともに、月がいさよって出てこないのを、今か今かと待っているうちに夜が更けてしまったと言っています。これは、いざよひが十六夜だけを指すのならば、大げさな感じがします。万葉のころは十五夜以降を、総じて「いさよふ月」と言ったのかもしれません。その後、立待月(17日)、居待月(18日)、寝待月(19日)、更待月(20日)などという言葉ができ、細分化していったのでしょうか。あるいは、今夜は立待月の月見、明日は居待月の月見…、という口実で、毎晩飲んで楽しむためだったのかもしれません。

いずれにしても、私には「いさよひ」という言い方がとても心地よく耳に響きます。日本語の美しさを感じます。

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昨晩に続いて、今宵十六夜の月もぼんやりとしか見えませんでした。「つきはくまなきをのみ、みるものかは。 」とはいうものの、二日続きの曇り空は残念です。

4011(2012年10月1日午後9時)
【401】

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