好い月のこともう一度言うて老師と別る(荻原井泉水)
秋の日の夜、妙心寺の門前を通りがかりました。
丸太町通沿いにある大きな案内塔を見上げるときれいなお月さまがありました。今回は荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)の句を鑑賞します。
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【好い月のこともう一度言うて老師と別る】(よいつきのこともういちどいうてろうしとわかる)
森澄雄編・山本健吉監修の「地名俳句歳時記」(中央公論社)によると、洛西妙心寺の項に載っています。作句時期や背景などはわかりませんが、当地を訪ねた井泉水が寺を辞するとき、よい月が出ていました。門前まで送ってくれた老師に、「今夜は本当にいい月夜ですね」と何度も繰り返し、感謝の言葉を述べたのでしょう。名残惜しい気持ちが伝わってきます。この句は七・八・七の破調になっています。
荻原井泉水(1884-1976)は、季語や五七五の定型にこだわらない自由律俳句を提唱した人です。「好い月のこと」「もう一度言うて」「老師と別る」と3つの部分に分けて鑑賞するのだと思いますが、散文のような言い回しの中に、どことなく韻文を感じる不思議なリズムです。ただ、自由律俳句は、河東碧梧桐、尾崎放哉、種田山頭火などに受け継がれていくものの、やはり五七調(七五調)のリズムが日本語の詩としては譲れないところで、違和感は免れません。
現在ではほとんど顧みられなくなった井泉水ですが、芭蕉をはじめとするその評論や随筆には、すこぶる共感するものがあります。特に私が感激したのは「芭蕉名句」(現代教養文庫)の 解することと味わうこと ー序にかえてー という文章です。10ページほどの短文に、井泉水の俳句鑑賞法がわかりやすく説かれています。いわく、『俳句は象徴の文学である。言葉の意味を理解しようとしすぎて、味わうことをおろそかにしてはいけない。解するのは頭の問題、味わうのは心の問題。心をもって味わうのである』…などです。芭蕉の句の音楽性の部分を高く評価しているようです。句のリズムを大切にしているようです。なのに、どうして自身は破調の句を詠むようになったのでしょうか。残念に思うとともに、理解に苦しむところです。
自由律俳句には同調できませんが、荻原井泉水は好きな俳人のひとりです。井泉水の鑑賞姿勢は、当ブログに大きな影響を与えています。
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