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2012年11月26日 (月曜日)

鹿柴(王維)

 王維の五言絶句「鹿柴」を鑑賞します。

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空山不見人(くうざんひとをみず)

但聞人語響(ただじんごのひびきをきく)

返景入深林(へんけいしんりんにいり)

復照青苔上(またてらすせいたいのうえ)

(意訳)

静まり返った山中に人の姿は見えず、ただどこからか人の声だけが聞こえる。夕日が深い林の中にさし込み、青い苔の上を照らしている。

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 鹿柴(ろくさい)というのは、鹿を囲う柵のことです。詩の内容には直接関係ありません。輞川(もうせん)荘という王維の別荘にありました。空山に響く人語は、遠くからこだまのように聞こえてきたのでしょうか。それとも、ぼそぼそっという話し声でしょうか。その深い林に夕日がさし込んできた。「返景」は西日が落ちて、東に光が照り返ることをいうのだそうです。その斜めの光が、苔を青く照らしている…。いいですねぇ。情景が眼に浮かびます。

 「空山人を見ず、ただ人語の響きを聞く」…このフレーズ、漢文ならではの言い回しです。漢詩鑑賞事典(講談社学術文庫)に、「例えば静かな部屋の中に時計の音がカチカチと聞こえるというのと同じ手法」と解説されていました。まさにそのとおり。シーンとした中に一つの音をを加えることによって、かえって静寂感が増します。芭蕉の『閑さや岩にしみ入る蝉の声』も同じ効果を狙っています。とはいえ、江戸時代の民謡を集めた山家鳥虫歌の和泉の項に

声はすれども姿は見えぬ 君は深山のきりぎりす

 とありますが、これは俗におちています。さらに

声はすれども姿は見えず ほんにお前は屁のような

 と言ったりしますが、下品なだけです(笑)

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