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2012年11月28日 (水曜日)

登幽州台歌(陳子昂)

初唐の詩人陳子昂(ちんすごう)の「登幽州台歌(ゆうしゅうのだいにのぼるうた)」を鑑賞します。

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前不見古人(まえにこじんをみず)

後不見来者(あとにらいしゃをみず)

念天地之悠悠(てんちのゆうゆうたるをおもい)

独愴然而涕下(ひとりそうぜんとしてなみだくだる)

(意訳)

古人に会うことはできない。未来の人に会うこともできない。ただ天地がいつまでも絶えることなく続くのを思うと、ひとり心がいたんで涙が流れる。

幽州台というのは、陳子昂(661-702)よりも千年ほど昔、燕の昭王が千金を置いて賢者を集めた黄金の台ともいわれています。陳子昂が契丹に遠征した際、このいにしえの台に登り、自分の意見が取り上げられないことを憤って詠んだ詩です。絶唱というべきか、昭王を偲んで自分の不遇を嘆くようなレベルではなく、激しく深い人生の叫びを感じます。

訓読の際、は「まえ」と読むのがいいか、「さき」と読むのがいいか。は「あと」がいいか、「のち」がいいか、それとも「しりえ」か、少しでも作者のこころに迫ろうと試みました。ここでは岩波文庫の中国名詩選(松枝茂夫編)の読みに従います。好みによってどちらでも構わないのですが、私自身は、

さきにこじんをみず、しりえにらいしゃをみず」

と読むのが好きです。

ちなみに陳子昂の『』という字は『』ではありません。

○昂→コウ、ゴウ、あがる、たかい

×昴→ボウ、ミョウ、すばる(プレアデス星団の中国名)

」にはあがる・たかいの意味があります。陳子昂は、その名の通り、とても背が高かったそうです。またその作品から考えるに、高いところに登るのも好きだったようですね。

【459】

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コメント

黄山が好きで水墨画を描きに何度も行ってます。
この歌の詩意画には黄山がうってつけです。
まさに自然の悠々たる流れの中に生きる、たかだか80年の人生は、点にも満たない気がします。
幾ら真似をしようとしても真似のできない脱俗閑雅に生きた先人に会ってみたい。
幾ら教えても真似ようとしない来者の将来はどうなるのかも心配。(してもしようがない)
一生懸命に家族のために生きてきて、退職し自分を生きることができるようになって初めて味が分かる詩です。

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