もの言ひて露けき夜と覚えたり(虚子)
高浜虚子の句、
【もの言ひて露けき夜と覚えたり】(ものいいてつゆけきよるとおぼえたり)
を勝手に鑑賞してみます。
普通なら意訳から書きはじめるところが、まずは解釈に悩んでしまいました。
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思いだすのは、芭蕉の【物言へば唇寒し秋の風】です。芭蕉の句は、「いらぬことを言ってしまった。こんなことなら黙っておけばよかった」と教訓めいた解釈をされる方が多いと思います。それに対して虚子の句は、「(芭蕉は、物言えば唇が寒いと詠んだけれども)言ってよかった。夜露に濡れたすばらしい夜だ」と、逆手をとったパロディかと思いました。しかし、虚子の句にはどこか真剣なものを感じます。単純に、
ものを言ったら、露けき夜だと感じた。
という情景だけを頭に描いて、「露けき(露けし)」を辞書(広辞苑)で引いてみると、
①露が多い。湿気が多い。
②涙っぽい。
とあります。②の涙っぽいにひっかかりました。虚子の句には、何かに感動したという寓意があるようです。それと、私自身の感覚的なものですが、結句の「覚えたり」に、「ふと」とか「急に」とかのニュアンスを感じます。いったい虚子は誰に何を言ったのか?
う~ん、これは難しいぞ…。
と、手元の解説本にあたってみました。すると、山本健吉著「現代俳句」(角川文庫)に記述がありました。以下、引用してみます。
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【もの言ひて露けき夜と覚えたり】高浜虚子
『昭和5年作。言葉少なく室内にあるのである。たまたま強い言葉を発してあたりの静寂を破ったことが、秋らしい空気の露けさを感じさせるのだ。肉声にこもるうるおい、冷えびえとした空気の動き、すべてが露けさを感じさせるのである。芭蕉に「もの言へば唇寒し秋の風」の句があり、観念の句であるが、これはただ淡々と叙した感覚の句である。芭蕉の句は無用の話をしたあとの悔恨の淋しさであるが、これは何かのはずみに家人と交わした二言三言に、深まる秋の夜を感じ取った生活の句である。』
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さすが山本健吉です。「露けき」のつかみ方が私のような素人とは全然違います。
ただ、思うのですが、句が浮かんだとき、虚子の頭に芭蕉の句があったのは間違いないでしょうし、芭蕉の句があればこそ虚子の句が人々の目にとまるはずです。その点、虚子の句は二番煎じです。芭蕉の句が教訓であるならば、虚子の句はその裏返しと考えていいのではないかと思います。
つまり、当ブログの勝手に鑑賞では、
『芭蕉は物言へば唇寒し秋の風と詠んだけど、虚子はもの言ひて露けき夜と覚えたりと詠んでいる。要するに、言ってはいけないことは言ってはいけないが、言うべきときにはきちんと言わなければいけないのだ。結局、よく考えてしゃべることだね』
となります。現に、世の中そういうものですもんね(笑)
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