青竹の俄かに近く秋の風(加藤楸邨)
嵐山から嵯峨野へ、竹林の道を歩きました。紅葉もいいですけど、竹薮もまたいいですねぇ。
筆者が子供のころは、少し郊外へ出ると、そこらじゅう竹薮でした。京都の西郊、嵯峨野・大原野・乙訓といえばいまでもタケノコの産地なのでしょうが、宅地造成が進んで、本当に竹林が少なくなりました。これだけの竹林が残っているところは、数えるほどしかないと思います。多くの人が訪れるのもよくわかります。
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嵯峨の竹を詠んだ句をさがしてみました。芭蕉の【すずしさを絵にうつしけり嵯峨の竹】、【ほととぎす大竹薮をもる月夜】、【嵐山薮の茂りや風の筋】はじめ、現代俳句にいたるまでたくさん見つかりました。その中から、今回は加藤楸邨の句を鑑賞します。
【青竹の俄かに近く秋の風】(あおたけのにわかにちかくあきのかぜ)
意訳:竹林の道を歩いていたら、突然青竹が揺れてこちらに近づいてきた。あっ、秋の風だ。
この句は上五を「竹林」「竹薮」とは置かず、「青竹」と置いたところに具体性があります。季節は初秋、有名な古今集の【秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる】を念頭に、ふと秋風=秋の気配を感じた場面を句にしたものと思われます。それは「俄かに近く」に効果的に集約されています。言葉の意味だけではありません。五七五が緩・急・緩となっているのです。ローマ字で書いてみます。
Aotakeno Niwakani Chikaku Akinokaze
「あおたけ」と「あきのかぜ」は、『ア』音から始まり、「にわかに ちかく」は、『イ』音を使っています。上五から中七へ、音感を変えています。声に出してみると、急に風が吹いてちょっと驚いた、という印象を受けます。さりげなく詠んでいるようで、周到な言葉運びがされているわけです。加藤楸邨といえば芭蕉の研究者としても知られていますが、芭蕉同様、音楽としての句を評価していたことがわかります。
いい句です。
【449】
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