« 「白河夜船」と「白川」 | トップページ | もの言ひて露けき夜と覚えたり(虚子) »

2012年11月 7日 (水曜日)

「遠慮」の語源について(論語より)

子曰、人而無遠慮、必有近憂(衛霊公第十五)

子曰く、人にして遠き慮(おもんぱかり)無ければ、必ず近き憂い有り

(意訳)

孔子(先生)がおっしゃった。人として遠くまでの見通しがなければ、必ず近いうちにわざわいごとがある。

ーーーーー

」を、論語のこの章ではおもんぱかりと読み、考えをめぐらすこと、将来を見通すことです。この章は「遠慮」の語源になっています。現代語の「遠慮」は「控えめにする。辞退する」ですが、本来は「将来に対する深い考え」だったのです。「遠慮」が「無い」と「近憂」が「有る」。しっかり将来を見とおさなければ、展望は開けないということです。孔子は、遠と近、無と有を対句にして上手にたとえています。

では、なぜ「遠慮」という熟語が、「控えめにする。辞退する」という意味になったのでしょうか? それは、

遠慮とは?

将来を見通すこと。

そのために、深く考える必要がある。

時間がかかる。

すぐには行動しない。

態度を控える。

辞退する。

と意味が転じていったのだそうです。

【438】

« 「白河夜船」と「白川」 | トップページ | もの言ひて露けき夜と覚えたり(虚子) »

古典より」カテゴリの記事

知りたい!」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「遠慮」の語源について(論語より):

« 「白河夜船」と「白川」 | トップページ | もの言ひて露けき夜と覚えたり(虚子) »