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2012年11月14日 (水曜日)

吹きはらふ紅葉の上の霧はれて峰たしかなる嵐山かな(定家)

嵐山に行きました。藤原定家の歌を鑑賞します。

吹きはらふ紅葉の上の霧はれて峰たしかなる嵐山かな

(ふきはらうもみじのうえのきりはれてみねたしかなるあらしやまかな)

4451(渡月橋)

ーーーーーーーーーー

(意訳)

(嵐が)吹き払い、紅葉の上の霧が晴れて、峰がはっきり見える嵐山であることよ。

4453_3(嵐山)
わかりやすい歌です。「嵐山」だけに嵐が来て、てっぺん付近にかかっていた霧を吹き飛ばしたというだけのことです。ただ、「たしかなる」という言い方に作者の歌に対する自信のようなものを感じます。
4452

というわけで、次回は嵐山・嵯峨野を詠んだ詩歌を鑑賞してみたいと思います。

4454(阪急嵐山駅)

【445】

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