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2012年11月19日 (月曜日)

柿ぬしや梢はちかきあらし山(去来)

嵐山・嵯峨野を詠んだ詩歌、今回は向井去来

柿ぬしや梢はちかきあらし山】(かきぬしやこずえはちかきあらしやま)

を鑑賞します。

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猿蓑」のこの句には「自題落柿舎(みずかららくししゃにだいす)」との前書きがあります。落柿舎は去来の別荘でした。彼は「落柿舎ノ記」に、落柿舎の名前の由来を、この句とともに書き残しています。それによると、

【ここには40本の柿の木があり、管理人に任していたが、一向に柿を持ってこないし、お金に代えたという話もない。管理人にはしばしば文句を言っていた。今年の八月の末に自分自身が見に行ったら、たまたま商人が来ていて、柿の木をまるごと一貫文で買ってくれた。ところがその夜泊っていると、一晩中風が吹いて、ころころと屋根をころがる音、ひしひしと庭に落ちてつぶれる音が聞こえる。あくる朝、商人が来て言うには「自分は前髪垂れた少年のときから白髪になるまでこの商売をしているが、これほど落ちる柿を見たことがない。昨日の取引の話はなかったことにして、お金を返してほしい」とがっかりしている。仕方ないので許してやった。そして、商人が帰るときに友達への手紙をことづけたときから、『落柿舎の去来』と書き始めたのである】

とあり、柿ぬしや梢はちかきあらし山の句を記しています。意訳すれば、

なぁ、柿主さんよ。ここの柿は風が吹けば一夜で落ちるが、それもそのはずだ。梢の向こう、嵐山がすぐ近くだからな。

でしょうか。

ここまで、考えようによっては、謎解きのオチ話です。

ーーーーー

管理人が柿の木を持って来なかったり、売り物にならなかったのは、一晩で落ちてしまう柿だったからです。それは近くの嵐山からの風のせいでした。嵐山だけに嵐のような大風だ、とシャレているわけです。柿の主はほかでもない去来自身です。いきなり初句に「柿ぬしや」と持ってきたのは、一連の出来事を笑い話にしているというか、去来は自分の所有している別荘と柿の木の状況を全然知らなかったことを自嘲しているのです。だからこそ、「落柿舎の去来」と名のるところが俳諧だ、と言いたげです。

逆にいえば、生活に余裕がなければこのような文章は書けません。去来は芭蕉をして「西国三十三ケ国の俳諧奉行」と言わしめたそうです。きっと親分肌で鷹揚で気楽な性格だったのでしょうね。なんとなく想像できます。それもお金持ちであったればこそです。そんな去来が蕉門十哲のひとりとして数百年後まで人々の関心を集めるなんて、うらやましい気持ちさえします(笑)

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現在の落柿舎は、門前の畑の空間に風情を感じます。たいていの観光客は竹林の道を抜けてやってくるので、大きく開けた空間に新たな感動を呼び起こされます。ちなみに現在の落柿舎は去来のころとは場所が少し違うそうです。

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往時をしのぶかのように、柿の実がなっていました。

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