立つかゞし御幸待つやら小倉山(一茶)
小林一茶の
【立つかゞし御幸待つやら小倉山】(たつかがしみゆきまつやらおぐらやま)
を鑑賞してみます。
(意訳)案山子が立っている。ああそうか、お前もミユキを待っているのか。小倉山のふもとだからな。
この句は、百人一首貞信公(藤原忠平)の歌
【小倉山峰のもみぢ葉こころあらば今ひとたびのみゆき待たなむ】
がベースになっています。古典の授業に取り入れられていることもあって、百人一首が好きで嵐山・嵯峨野に来られる方も多いと思います。その際、先生が、
「この歌は延喜七年(907年)の秋に詠まれたものです。小倉山というのは、紅葉で有名な山です。そこに宇多上皇のミユキがありました。見事な紅葉だったのでしょう。同行した作者の藤原忠平が、あまりにきれいなので、上皇の息子である醍醐天皇のミユキまで散らずにいてくれよ、という心を述べたものです。上皇や天皇が宮中から外出することをミユキといいます。上皇のミユキは「御幸」と書き、天皇のミユキは「行幸」と書きます。ややこしいので御幸(ごこう)、行幸(ぎょうこう)と呼んで区別したりします」
と、解説されるのを聞かれませんでしたか。
それを踏まえて一茶の句を詠んでみると、この句のミユキには「御幸」の字があてられています(岩波文庫版「七番日記」) ということは、案山子が待っていたのは、はじめの宇多上皇のミユキですね。
それがどうしたと言われればそれまでですが、我ながらちょっと深読みした次第です(笑)
ーーーーー
さて、小倉山というのは、そもそも「小暗い山」から転じた名前だとも聞きました。具体的にいったいどの山なのか? 確認してみます。
(落柿舎前より)
普通は、定家の山荘があったとされる二尊院付近の裏山とされていて、現在も嵯峨小倉山町という地名が残されています。異説もあります。
(渡月橋やや下流より)
渡月橋の西、大堰川左岸の亀山とも、
(渡月橋より)
南側の嵐山とも、いわれています。
【451】
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