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2012年12月25日 (火曜日)

凩や何に世わたる家五軒(蕪村)

蕪村の句、

凩や何に世わたる家五軒】(こがらしやなにによわたるいえごけん)

を鑑賞します。

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(意訳)木枯らしが吹きさらしの荒れ地に、なにを生活の糧に世渡りしているのか、五軒の家が身を寄せ合っている…。

季節は違いますが、蕪村には

五月雨や大河を前に家二軒】(さみだれやたいがをまえにいえにけん)

という、同じ調子の句があります。気になるのは「家五軒」と「家二軒」の違いです。ある解説本には、「何に世わたる家五軒」は主観的な説明で、各戸は固く閉ざされていて交流が感じられないのに対して、「大河を前に家二軒」は客観的な情景で、お互いに支え合う気持ちを含んでいるとありました。が、いかんせん、私にはよくわかりません。

「家一軒」や「家三軒」「家四軒」となると語呂が悪くなって句の緊張感がなくなるものの、「二軒」と「五軒」とは情景として大差ないような気がするのです。勝手に鑑賞とはいえ、読みが浅いのかなぁ。

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【箱を出る貌わすれめや雛二対

【なら道や当皈ばたけの花一木

【ころもがへ印籠買に所化二人

【蓮の香や水をはなるゝ茎二寸

【水鳥や枯木の中に駕二挺

【寒月や枯木の中の竹三竿

同形の句を蕪村句集から引いてみました。中には典故になっている故事があり、数字の動かない句もあるのでしょうが、いずれもただありのままを詠んだと考えるのが、自然な解釈のように思います…。いや、やっぱり数字に寓意があるのかなぁ…。なかなか難しいです(苦笑)

それにしても、数字の違いをつい斟酌してしまう不思議な魅力が蕪村にはあります。奥が深いということです。

【486】

 

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