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2012年12月11日 (火曜日)

人之易其言也、無責耳矣。(孟子)

孟子離婁章句(りろうしょうく)

孟子曰、人之易其言也、無責耳矣。

(もうしいわく、ひとのそのげんをかろんずるは、せめなきのみ)

という言葉があります。

意訳:孟子が言われた。「人が軽々しくしゃべるのは、(自分の言葉に)責任感がないからだ」

孟子は、自らの発言の重みを自覚することを求めています。たしかに、自分の発言に重い責任を感じていれば、うかつにモノを言うことはできないはずです。

では、無責任な発言を見破るにはどうすればいいのでしょうか。そのヒントとなる記述が同じ孟子にありました。弟子の公孫丑(こうそんちゅう)に、「他人の言葉を聞いて人物を知るというのはどういうことでしょうか」と聞かれて、次のように答えています(公孫丑章句上)

詖辞知其所蔽、(ひじはそのおおわるるところをしり)

淫辞知其所陥、(いんじはそのおちいるところをしり)

邪辞知其所離、(じゃじはそのはなるるところをしり)

遁辞知其所窮、(とんじはそのきわまるところをしる)

意訳:一方にかたよった言葉では、(その人が)何にとらわれているかを知り、でたらめな言葉では(その人が)何に惑わされているかを知り、よこしまな言葉では(その人が)いかに間違っているかを知り、言い逃れの言葉では(その人が)いかに行き詰っているかを知る。

う~ん、わかったようなわからないような、なかなか難しい言い回しです。一読して理解するにはちょっと無理があるかもしれません。調べると、

詖辞(ひじ)=かたよった正しくない言葉、

淫辞(いんじ)=根拠のない言葉、

邪辞(じゃじ)=人をおとしいれるよこしまな言葉、

遁辞(とんじ)=言い逃れの言葉、

とのことです。これらの言葉を多用する輩に、ロクな人間はいないということです。孟子はさらにこう言っています。

生於其心、害於其事、発於其事、害於其政

(そのこころにおこれば、そのしごとにがいあり、そのしごとにおこれば、そのまつりごとにがいあり)

意訳:(詖辞・淫辞・邪辞・遁辞の四つの言葉が)その人の心におこれば、行為に害があらわれ、行為に害がおこれば、政治に害が及ぶ。

なるほど、なんとなく理解できました。要するに、無責任な発言を続けていくと、最終的には政治に害が及ぶというのです。

ということならば・・・、どこかの国の政治家に聞かせてやりたいものです。

【472】

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