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2012年12月20日 (木曜日)

くんしはぎにさとりしょうじんはりにさとる(論語)

子曰、君子喩於義、小人喩於利(里仁第四・16)

(子曰く、君子は義にさとり、小人は利にさとる)

(意訳)孔子(先生)がおっしゃった。「立派な人間は義に目覚める。つまらぬ人間は利益に目がくらむ」

 孔子が生きていた時代から約2500年。その言動が記録されている論語が成立してから約2200年。日本に入ってきてから、すでに1500年近くが経過していると言われます。そんなにも古い書物ですから、孔子が言いたかったことが本当はどういうことなのか、今となってはわからなくなっています。ですからさまざまな注釈書が書かれてきました。現在、論語の解説書は山ほどありますが、それぞれ読み方も違えば、解釈も少しずつ違います。いったいどの解釈が正しいのか悩んでしまうこともしばしばです。なので、漢字の意味を自分の感性のままに当てはめて考えるのが一番いいのではないかと思います。何のために論語を読むかを考えれば、日々の生活に役立てていかなければ意味がないですから、結局、自分なりに理解すればいいと思うのです。

 で、今回の章です。「」とは、モノの道理・道義と説明され、「」とは、利益・利害・損得勘定のことといわれます。 普通は、「君子」が人として目指すべき境地で、「小人」は未熟な人物の象徴になっています。 「義」を追求するのがよいことで、「利」を追求するのは悪いこととするのが一般的な解釈です。でも、現代人からみれば「利」は決して悪いことではないような気がします。「お金儲けがそんなに悪いことですか」と言った人がいましたが、まさにそのとおり。経済成長が人々の暮らしを向上させるのであれば、合理的で「義」にもかなっています。

 この際、君子も「利」にさとることが必要ではないでしょうか。問題は、“自分だけがよければいい” という凝り固まった考え方を排除すべきなのであって、「利」がすべてではないという認識を持つことです。つまり、可能な限り、義>利になるよう心がけるべきだと思います。

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