われさんにんおこなうときかならずわがしをう(論語)
子曰、我三人行、必得我師焉、撰其善者而従之、其不善者而改之(述而第七・21)
(子曰く、我三人行うとき必ず我が師を得、その善きものを撰びてこれに従い、その善からざるものはこれを改む)
(意訳)孔子(先生)がおっしゃった。「三人で物事を行う時には必ず師となる人がいる。その善い人を選んで見習うようにし、善くない人を見て(自分の行いを)改める」
「自分は、三人で物事を行うときには必ず見習うべき人をみつける」というのです。「人のふり見て我がふり直せ」と同じです。論語の別の章には、こんなことも書いてあります。
無求備於一人(微子第十八・10)
(備わらんことを一人に求むることなかれ)
これは「一人の人間に完璧さを求めてはいけない」という意味です。
トップに立つ人間であれ、末端の人間であれ、人それぞれ、いいところもあれば悪いところもある。考えてみれば当たり前のことですが、私たちの日常生活においては、どうでしょうか。 当たり前のことと気づいているでしょうか。 「あの人のここが気にいらない!」「性格が合わない」などと、他人の悪い点ばかりを責めてしまっているのではないでしょうか。
なかなか考えさせられる言葉です。
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