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2012年12月22日 (土曜日)

うづくまる薬の下の寒さ哉(丈草)

蕉門十哲のひとりに数えられる内藤丈草

うづくまる薬の下の寒さかな】(うづくまるくすりのもとのさむさかな)

を鑑賞します。

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この句には「ばせを翁の病床に侍りて」との前書きがあります。死の直前の芭蕉が、かけつけた門人たちに句を詠ませた際の一句です。去来抄の先師評には『うづくまる薬缶の下の寒さかな』とあり、以下のような文章が書いてあります。

先師難波病床に人々に夜伽の句をすゝめて、今日より我が死期の句也。一字の相談を加ふべからずト也。さまざまの吟ども多侍りけれど、ただ此一句のミ丈艸出来たりとの給ふ。かゝる時はかゝる情こそうごかめ。興を催し景をさぐるいとまあらじとハ、此時こそおもひし侍りける」(岩波文庫版去来抄より引用)

意訳:先師(芭蕉)が難波での病床で、看病してくれる弟子たちにすすめて句を作らせ、「今日より後に作る句は、私の死後の句だ。一字も相談できないと思いなさい」と言われた。そこで、さまざまの句が詠まれたけれども、ただこの一句だけ「丈草、お手柄だね」とおっしゃった。こういうときは、このような(先師を思う)真実の情こそ動かないものだ。興を催していい句を作ってやろうとか、風景を探ったりする余裕はないはずだと、このときこそ思い知ったのである。

薬缶(やかん)とは、文字通り、本来は薬を煎じる器(うつわ)鍋のことです。病床の芭蕉を横目に、薬缶のそばでうずくまっていると寒さがひとしお身にしみる、というのです。「うづくまる」には、身をかがめるという意味だけでなく、芭蕉の容体を心配する心に加えて、「これからは死後の句だよ」と言われて、さびしい、やるせない気持ちになったことをもにおわせます。真実の情が、技巧をこらすことなく自然と表現できていることを、芭蕉は汲み取り、去来も理解したのです。

夏目漱石に

【行く年や猫うづくまる膝の上】

の句がありますが、おそらく丈草の句を意識して作ったのだと思います。

いいですねぇ。「うづくまる」…日本語が美しいです。とっさにこのような言葉が浮かんだ丈草は、すばらしい感性の持ち主ですね。

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↑ちなみに、滋賀県(信楽?)のお土産に「うずくまる」というのがありますが、こちらは丈草の句とは直接関係ないようです。先日琵琶湖に行った際、名前にひかれて買いました。おいしかったです。

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