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2013年1月 8日 (火曜日)

しぐるるや我も古人の夜に似たる(蕪村)、俳諧に古人ある世の時雨かな(几菫)

しぐるるや我も古人の夜に似たる】(蕪村)

(しぐるるやわれもこじんのよににたる)

意訳:夜、わび住まいに時雨の音を聞いていると、自分もまた宗祇や芭蕉と同じ一夜を過ごしているのだなと感慨深い(「蕪村句集講義」によると、『本来「似たり」とあるべきところ、俳句としては「似たる」でなければならない。りでは連想が働かない。俳句は必ずしも文法通り詠むわけではない一例である』とありました)

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この句、一見つまらないです。どうやら「時雨」を詠んだ「古人」を知らないと理解できないようです。時代をさかのぼって挙げてみると、

世にふるもさらに宗祇のやどり哉】(芭蕉)

世にふるもさらに時雨のやどり哉】(宗祇)

雲はなを定めある世のしぐれかな】(心敬)

世にふるは苦しきものを槇の屋に易くも過ぐる初時雨かな】(二条院讃岐・新古今集)

まばらなる槇の板屋に音はしてもらぬ時雨や木葉なるらむ】(藤原俊成・千載集)

神無月ふりみふらずみ定めなき時雨ぞ冬の始めなりける】(読人しらず・後撰集)

花の色は移りにけりないたづらに我身よにふるながめせしまに】(小野小町・古今集)

と、まるで連想ゲームです。

世・経る(古)に時雨・降るを掛け、にはを連想させ、人生の無常時雨に対比させているのが、古人から古人へ受け継がれてきた題材で、このあたり、山本健吉「芭蕉ーその鑑賞と批評ー」に詳しく解説されています。ただ現代人には理解しづらく、私などは古人の心というよりも、掛け言葉ばかりに目が向いてしまいます。やはり古典(文学)は難解だと、あらためて感じます。言葉の使い方、含蓄など、わかったようでわからないことばかりです。それだけに、新しい発見をして『古人の心に近づけた!』と思ったときの喜びが大きいのも、古典鑑賞の醍醐味です。

「古人」・「時雨」の句をもうひとつ見つけました。蕪村の弟子几董(きとう)の句です。

俳諧に古人ある世の時雨かな

(はいかいにこじんあるよのしぐれかな)

私はこの句のほうが好きだなぁ。含蓄はないかもしれないけれど、余情は感じます。なによりもあっさりしていてわかりやすいのがいいです。

【500】

↑ありがとうございます。ほぼ毎日更新して、500回を数えました。いつまで続くことやら…(ふぅ)

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