野とならば鶉となりて鳴きをらむかりにだにやは君は来ざらむ(伊勢物語)
(京阪電車深草駅)
所用で伏見区深草に行く機会がありました。伊勢物語百二十三段を、言葉遊びの面から鑑賞します。
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(原文)
昔、男ありけり。深草にすみける女をやうやうあきがたにや思ひけむ、かかる歌をよみけり。
【年を経て住みこし里を出でていなばいとど深草野とやなりなむ】
(としをへてすみこしさとをいでていなばいとゞふかくさのとやなりなむ)
女返し、
【野とならば鶉となりて鳴きをらむかりにだにやは君は来ざらむ】
(のとならばうづらとなりてなきをらむかりにだにやはきみはこざらむ)
とよめりけるにめでて、行かむと思ふ心なくなりにけり。
(意訳)
昔、男がいた。深草に住んでいる女に次第に飽きがきたのであろうか。こんな歌を詠んだ。
【長年住み続けてきたこの深草の里を(私が)出ていったならば、(その名のとおり)もっと草深い野原になってしまうだろうか】
女が返歌に、
【おっしゃるようにここが草深い野原となってしまったならば、私はウズラとなってないていることでしょう。(あなたのことですもの)そうすれば、かりにでもやってきてくださることでしょうよ】
と詠んだのに感心して、女の元を出て行こうという気持ちがなくなってしまったのだった。
(注)
「ふかくさ」→地名(京都市伏見区深草)に深い野を掛ける。
「いでて、いなば、いとど」→語呂合わせで「い」音の繰り返し。
「うづら」→鶉に憂面(うづら)を掛ける。
「なき」→鳴きに泣きを掛ける。
「かり」→仮に狩りを掛ける。
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伊勢物語の中でも、よく知られた段です。短い段ですが、男女双方の歌の中に掛け言葉や語呂合わせが「これでもか」と思うくらいにちりばめられています。
女の返歌を聞いた昔男は、いったい何を「めでて」出て行くのをやめたというのでしょうか。解説書を読むと、『女の男を慕う心にあわれを感じた』 とか、『昔男(在原業平?)の色好み』 と、まことしやかに書かれています。本当にそうでしょうか。私は、ただ単純に返し歌の当意即妙なダジャレに感心したのではないかと思うのです。
女の返歌を見た昔男は、
「どれどれ?…『うずらとなりてなきをらむ』、鶉と憂面、鳴きと泣きを掛けてきよったな。それから…『かりにだにやはきみはこざらむ』、か。狩りと仮とがかかってるわけや。う~ん、なるほど! これはうまい歌を返してきたもんや。やっぱし別れるのや~めた。この女とは、もっと一緒に遊んでみよ~ぅっと」
というようなノリじゃないのかなぁ。
(深草を貫く師団街道)
(疏水にかかる深草橋)
現在の深草に「野」はどこにも見当たりません。深草が草深い野とならずにここまで発展したのは、もしかして昔男が住み続けたおかげかもしれませんね(笑)
【503】
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