« 野とならば鶉となりて鳴きをらむかりにだにやは君は来ざらむ(伊勢物語) | トップページ | 正月十五日に一番近い日曜日、三十三間堂にて。 »

2013年1月12日 (土曜日)

伯瑜泣杖(蒙求)

中国の古典『蒙求(もうぎゅう)』より、

伯瑜泣杖】(はくゆきゅうじょう)

を鑑賞します。

ーーーーーーーーーー

説苑曰、伯瑜有過。其母笞之。泣。母曰、他日苔未嘗泣、今泣何也。対曰、他日得罪笞、常痛。今母之力不能痛。是以泣。十二国史、瑜作兪。

(読み下し)

説苑(ぜいえん)に曰く。伯瑜(はくゆ)過(あやま)ち有り。其の母之(これ)を笞(むち)うつ。泣く。母曰く、他日(たじつ)笞(むち)うてども未(いま)だ嘗(かつ)て泣かず。今泣くは何ぞや。対(こた)へて曰く、他日罪を得(え)て笞(むち)うたるれば、常(つね)に痛(いた)めり。今母の力(ちから)痛むこと能(あた)わず。是(ここ)を以て泣く。十二国史に、瑜、兪に作る。

(意訳)

説苑(ぜいえん)に曰く。あるとき伯瑜(はくゆ)が過ちを犯した。母親が彼をムチで打った。伯瑜は泣いた。母が聞いた。

『お前はこれまで、ムチで打たれても泣いたことがなかった。なのにどうして今日に限って泣くのか』

伯瑜は答えた。

『以前は、おかあさんに叱られてムチで打たれた時は、いつも痛かったのです。でも、今日は痛さを感じませんでした。これはおかあさんが年をとって、体が衰えられたせいだろうと思って、泣いたのです』

十二国史には伯瑜の「瑜」を「兪」の字に書いている。

(注)

説苑→漢の劉向(りゅうきょう)の撰。

伯瑜→詳細不明。宋の時代の韓の人とも、梁の人とも。

ーーーーー

蒙求は唐の時代に成立し、平安時代には日本に伝えられていました。賢人偉人の逸話をまとめた教科書的な読まれ方をされてきたそうです。この話は孝子・孝養の話として伝えられています。今昔物語集にも引用されています。

私には、「へぇ~、こんな話もあるんだ」というのが正直な感想です。母親にムチ打たれ、その打ち方が弱くなったといって泣く。いくら年とる親に孝行せよといっても、現代的にはあきらかに行き過ぎで本末転倒と言わざるをえません。母親が子供を笞打つことが公然と許される時代であったにせよ、この話が親孝行の話として取り上げられ、教育のあるべき姿のように考えられてきたことに驚きます。

【504】

« 野とならば鶉となりて鳴きをらむかりにだにやは君は来ざらむ(伊勢物語) | トップページ | 正月十五日に一番近い日曜日、三十三間堂にて。 »

古典より」カテゴリの記事

コメント

母が子を鞭打つなんて時代がおかしいと貴方は言うがどれだけ貴方は甘やかされてきたんですかね。過去の偉人の言葉を馬鹿にする前に裕福に甘やかされてきたお前自身を振り返れ

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 伯瑜泣杖(蒙求):

« 野とならば鶉となりて鳴きをらむかりにだにやは君は来ざらむ(伊勢物語) | トップページ | 正月十五日に一番近い日曜日、三十三間堂にて。 »