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2013年1月27日 (日曜日)

寂しさにたへたる人のまたもあれないほりならべむ冬の山里(西行)

新古今和歌集冬627、西行

「題しらず」

寂しさにたへたる人のまたもあれな庵ならべむ冬の山里

(さびしさにたえたるひとのまたもあれないおりならべんふゆのやまざと)

を鑑賞します。

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意訳:自分と同じような「寂しさにたへたる人」がいたら、庵をならべて一緒に暮らしたいものだ。この冬の山里に。

西行の歌の中でも有名なもののひとつです。当ブログが気になったのは、寂しさに堪へたる?、耐へたる? どちらか? ということです。

手元の古語辞典(「全訳古語例解辞典(小学館)」)を引いてみると、

●たふ【堪ふ・耐ふ】(自ハ下二)

①じっと我慢する。こらえる。耐える。②もちこたえる。支え止める。③事に応ずる能力を持つ。すぐれる。

とあります。次に同じく手元の国語辞典(「新明解国語辞典(三省堂)」)を引いてみると、

●たえる【堪える】(自下一)

①苦しみ・つらさや、退屈・(いや)な事や、孤独などをがまんする。②強い刺激や外部からの力にへこたれず、持ちこたえる(能力を持つ)③退屈したり、途中で放棄したりしないで、最後までその事を続けさせるものを内に秘めて持つ。

とあり、古語・現代語とも、ほぼ意味は同じようです。ただし国語辞典では、『②は「耐える」とも書く』 と説明されていました。(以上、引用中の例文は省略)

要するに、精神的・感情的にたえる時は「堪える」で、物理的・肉体的にたえる時は「耐える」を使うようです。「堪忍」「勘弁」・「耐久」「耐用」などの熟語で比べてみても、その違いがわかります。西行は精神的なつらさ・孤独を「寂しさ」と表現しているのですから、この歌の場合「堪へたる」が適切のようです。いくつかの解説本を読みましたが、普通は「堪へたる」となっています。ただし萩原朔太郎の恋愛名歌集には「耐へたる」とありました。(そういえば「忍耐」という熟語もあります。なので「耐へたる」でも間違いではないと思います。当ブログは萩原朔太郎のファンでもあるのです。念のため(笑))

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西行は出家して以来、ひたすら寂しさに堪えています。それがわかるのは、三句目の「またもあれな」です。字余りで、どうしてもここで小休止が入ります。大きなため息をついています。『自分と同じような寂しさにじっと堪えた孤独な世捨て人がほかにもいてくれたらなぁ』 という願望の中、心の奥深くに『そこまで孤独に堪えているような人はほかにはいない、いるはずがない、そのくらい自分は堪え忍んでいるのだ』、と訴えているのです。「またもあれな」は、西行の寂しさの頂点です。にもかかわらず以下は「庵ならべむ冬の山里」 と、おだやかな風景を置き、冷静にまとめているのはなぜでしょうか。それは、これまでも堪えてきたが、これからも堪えていくのだという、西行の決意をあらわしているのだと思います。

深い感傷の中、冷静さを保って堪えている西行。だからこそ後世絶唱と言われ、感動を呼びます。西行には、歌を詠むことにどういう意味があったのでしょうか。考えさせられます。

【519】

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